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【保険をかける価値】成功したアーティストの創作アプローチ特徴

アーティストの創作活動には、“魂の保険”が必要だ。感情のアンテナを高感度に設定している創作者はデリケートであり、時に大きな怪我を負う。このトピックでは、「困難な事態に挑むための備え」を、知ることができる。日常から人間関係にまで、平静でいることに苦慮しているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 傷つく者が悪い、という決断。 』

社意に反している。道徳的にも、褒められた発想ではないしかし我々はアーティストであり、世の隣でイマジネーションを生きる存在。理解頂けずとも、諦めてもらわざるを得ない。ここ「アーティスト情報局」では時に、法に反し、親類にブロックされる場面が発生する。それが事実ならば、隠すことは嘘。“正直の弊害”ならば、善しと考える。

傷つける者は、悪い。だが、傷つく者が悪い。

まだ納得できないことは、理解できる。しかし人は多くの場合、“避ける”という選択肢を持っている。それを放棄した結果に傷つくのは構わないが、そのことで相手を責めることは非道だとも考えられる。アーティストは“立派な社会人”を演じることを諦め、自身という価値を貫くことで楽になる。気遣いの果てに愛される貴方など、自身ではない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:Huluオリジナルのミステリーで主演を務めたニコール キッドマンが、役のままで撮影期間を送りただならぬ現場を生み出した

ニコール キッドマンが撮影期間中にキャラクターのままでいたことで、今度のHuluの番組はありきたりの雰囲気ではなかった。映画「Nine Perfect Strangers」の出演者たちは劇中の場面に用意された“偽の墓”に入っていることを、恐れたという。

キッドマンが演じるマーシャは、リゾート ディレクターは、訪れる9人に10日間の体験を提供する。マーシャは自ら掘らせた穴に入らせて、癒やしの瞑想をさせる。 ゲストたちは次第にマーシャに導かれ、常軌を逸していく。

キッドマンが回想する「私は“マーシャ”としてのみ彼らと関わり、そのキャラクターのままでいました。最初に撮影したのは、私が部屋に入ってきて“こんにちは、マーシャです、ようこそトランクルームへ”と言うシーンでした。私に話しかけたり、“ニコール”という名前を使ったりする人がいても、完全に無視していました。わたしは、“マーシャ”だったのですから」

キャストの一人、ボビー カンナヴェールが語る。「あのように土に囲まれていると、非常に気が重くなります。カメラが切り替わるたびに、誰もがすぐに穴から飛び出したよ。」

この映画は慎重な健康管理のもと、隔離された状態で撮影された。キッドマンは、その隔離感が作品全体の雰囲気にもマッチしていたと語ります。

「この環境の魔法のようなクオリティが、私たちを助けてくれたと思います。私たちは約6ヶ月間、この夢のような状態にいました。それは本当に奇妙な毎日で、魔法のようなものでした。私たちは皆、異なる国、異なる検疫所から来たばかりでしたが、突然結びつき、このショーを一緒にやらなければならなくなったのですから。」
- AUGUST 06, 2021 IndieWire -

『 ニュースのよみかた: 』

リゾート地のカリスマを演じたニコール キッドマンがミステリー映画の登場人物になりきったまま6ヶ月間の撮影を経て、共演者たちを圧倒。作品に魔法をかけた、という記事。

リトリート(Retreat)とは、数日の間生活を離れて心や身体を癒す過ごし方のことだ。国際映画人が自国で過ごせる時間はせいぜい、半年間。自らを観つめ直すのみならず、母国を客観視するスペシャリストでもある。

映画の撮影期間を“役”で通したニコール キッドマンは実のところ、心地良かったはずだ。役作りのアプローチに余計な私情を持ち込む混乱がなく、スタッフや共演者、関係者たちへの気遣いも“1種類”で済む。にもかかわらず、その異質な状況を理解して貰える環境でもあり。

撮影の瞬間のみで演技をする俳優よりも、役に近い自身を生きている俳優の方がその瞬間にストレスが少なく、より“共演者の言動に”集中できるという利点がある。撮影の瞬間に豹変する演者がメディアによって絶賛されている場面を観かけるが、国際的なメジャー俳優との共演であったなら、「集中しなさい。」と忠告される。

余談だが、
ブルース ウィリスとの共演者にわたしは、同じことを忠告したことがある。ここ「アーティスト情報局」のプロファイル画像は、その瞬間を撮られたものだ。自身への戒めとして、活用している。演者を叱るのは、監督の仕事ではないのだから。

『 それでも、困難は巡る。 』

備えても、覚悟を決めてもそれでも必ず、困難はやってくる。アーティストである貴方ならば尚更に、一般人ならやり過ごせるていどの出来事であっても作業が手につかず体調を崩すほどのダメージを受けることがある。もちろん、理解できる。それは自然なことだ。

諦めることだ。

風が髪を乱す。それが自然と、諦めることだ。
誰かが悪口を言う。それが自然と、諦めることだ。
誰かが貴方を滅ぼす。それが自然と、滅ぶことだ。

そもそもにそれを“困難”だと感じているのは、貴方自身だ。そもそもに貴方自身を“価値”だと信じているのは、貴方自身だ。そもそもに護る価値など、あると想うことが滑稽ではないだろうか。理解して貰えたことと想う。納得はせずともに。さて、次。
「攻める」ことだ。

『 攻める。 』

国際的な成功者たちは誰もが穏やかで、“感情”というシステムの不完全さを理解している。そのため不愉快な目に遭っても、理解する。攻撃されても、戦わない。滅ぼされても、受け止める。感情に従うことはない。冷静かつ最上級の精度をもって、“次の行動”を開始するだけだ。

攻める、とは相手との距離を詰めるという意であり、そこに“滅ぼす”などという意図はない。貴方ほどの知的さと実行力を持つ精鋭を追い詰め、傷すらつけることができる相手は確実に、優秀である。ならばこそ距離を詰めて逃がさず、徹底的に理解させればいい。アーティストが生み出す“創作の価値”を。手を組むその瞬間まで、諦めることなく。

困難の先には必ず、貴方に匹敵する優秀なパートナー候補が存在している。

『 編集後記:』

観ている世界をそのまま写せるカメラは、存在しない。
多くはレンズによる影響だが風景はゆがみ、色づけされ、現実の殆どの要素が破棄されたものを、写真や動画と呼ぶ。

映画監督とは自身のイマジネーションを具現化するために尽力する人生でありながらそれは一方で、クセのある写真や動画を駆使して、意図的な時間を創出しようという作意の権化である。

観るための観えない世界を泳ぎ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記