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【業界の外は世界】自称アーティストに終わらない、時代の本物術

メジャーの選択が“正解”だった時代は、終わった。インディペンデントは今こそ、目標に“正直な創作活動”に挑まねばならない。このトピックでは、「現状を捨ててもまったく困らない理由」を、知ることができる。夢をスケジュールへと昇華したいアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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監督がスタジオから発する生存の記
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『 あなたの現状は、護るほどのものではない 』

暴言を吐こう、というのではない。実は多くのアーティストが捨てられずに苦悩している「業界」「生活」「環境」「取引先」「人間関係」「金」「ルーティーン」の殆どが、“護るほどの価値がない”という意味だ。

“現状以上”を信じていないから、捨てられないのだ。

アーティストなら、気付かねばならない。護るべきは“作品”であり、求めているのは“近未来の成功”であり、「あなたこそが、唯一の価値」だという事実に。現状とは、あなたの足を引いている負債である。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アカデミー賞受賞者ニコラス ケイジ「ハリウッドを捨てて、荒野に出たよ」

ニコラス ケイジは、インディーズ映画「Pig」に主演した。
過去に著名なシェフだったことに苦悩している世捨て人の、メランコリックなトリュフ採集者を演じている。

「主人公ロブを演じる方法は、本能的に理解できたよ」1990年代後半から80年代前半にかけて活躍したスターであるケイジは、ロブの名声に対する複雑な思いに共感したという。

「ハリウッドという小さな町を離れて、自分だけの荒野に入っていったわけだ」とケージは言う。「ロブがなぜスターダムを去ったのか。この映画では、その点が気に入ってるよ。僕は、戻りたいとは思わないな。恐ろしいことだ」

自分の演技に課せられる、商業的な制約に歯がゆさを感じることがあったとも語っている。「まさにハイプレッシャーなゲームだったね。楽しい瞬間もたくさんあったけど同時に、従わなければならないルールがね。カメラがまわり、撮影される。命令されるままに、ね。インディペンデント映画では、より自由に実験し、流動的になることができる。プレッシャーもなく、部屋の中には酸素が満ちているよ」

新作「Pig」はケージが、繊細な仕事ができることを映画ファンに思い出させる機会になるだろう。「私は自分自身を戒めたかったんだ。着地できてよかった。伝えられてよかった。想いを、興味を持ってくれた映画関係者と共有できたんだから」レビューにはニコラス ケイジ復活、とある - JULY 15, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

アカデミー賞俳優ニコラス ケイジがより自由を求めてハリウッドを捨て、新作にインディペンデント映画を選んだ。とても作品評価が高い、という記事。

演技力だけでハリウッドの頂点にのし上がりって成功を手にし、豪遊の果てに結婚離婚を繰り返して自己破産の果てにメジャーで復活、今度はハリウッドを捨ててインディペンデントでキャリア中でもっとも地味な演技に高評価を得た、「The Hollywood Star」を体現する男。

わたしがプロデュースで彼と共闘したのは、
映画「USS INDIANAPOLIS -MEN OF OURAGE-」。

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物語スケールにしては小さな60億円(P&A込み80億円)の作品だったが、彼は妥協なく挑んでくれた。誠実な印象の彼に対して、せめてあと30分短く編集して、良作にしてやりたかった無念が残る。いま彼は、成功者だ。

『 映画はBtoBだった 』

一般人にも耳馴染みがある、“製作委員会”という言葉を知っているだろう。詳しくなくても構わないなにしろ、映画人ですら正しく説明できる者はほぼいない。製作委員会とは、“企業による談合”である。

組成の瞬間からそこはプロジェクト中のブラックボックスとなり、外部から内規をうかがい知る術はない。メジャー映画は、談合により開発される「企業案件」だったわけだ。

最重要なのは委員会内の“参加企業”であり、この場合の“お客様”とは、映画の中での“宣伝”を目的として出費している協賛会社のこと。観客はといえば、商品価値を拡散してくれるコミュニティの住人でありともすればお金を払ってくれる、都合のいい信者だ。

さすがに言い過ぎている。だが、完全否定できる業界人はいるだろうか。いれば公表したい。名乗って頂こう。

『 王道アーティストの習性 』

もう“企業”が観客を先導できる時代は、終わった。マーケティングでコミュニティを形成し、ムーヴメントを印象づける方法は通用しない。

アーティストは立ち上がり、歩き始めるときだ。

多くのアーティストは創作活動に没入する生活に生かされた結果、日常を捨てない。見極め方は、簡単だ。“物が多い”。資料という名目の収集癖があり、膨大な荷物と共にある。ただし整理は行き届いておりその几帳面さで、手の届くコミュニティを護り抜く誠実さがある。往年の巨匠たちにも多い、正攻法アーティストだといえる。だがもう、時代には合わない。

『 観客は、馬鹿じゃない 』

一方で、最先端を闊歩するアーティストたちが存在する。
時間を生き、最重要な材料は情報だと理解しており、ミニマリストの身軽さで自在に世界を飛び、“観客の意識スピード”を越えている精鋭たちだ。仲間とはオンラインで繋がっており活動は別々、資料は全クラウド化、テクノロジーとプラットフォームを自在に駆使し、活動拠点が一国に留まることはない。多業界に精通しており、著名人へのアクセスが自在なのも特徴だ。

時代と共に観客もまた、進化している。
彼らが求めているのはアーカイブスに眠る古典ではなく、近未来へと続く明確なビジョンである。

あらたな業界は、そこに誕生する。アーティストは、そこに向かっている。
プラットフォームの多様性により映画は史上初めて、「B to C」になるのだから。

『 編集後記:』

「スクリプト:SCRIPT」という。“映画脚本”のことだ。
日本では脚本や台本とも言われるが、縦書き、横書きの書式が異なるだけで同じものだ。そう教わったのだが、全然違う。

映画の脚本とは、スタッフと共演者が共有するための“映画の設計図”である。上半分の余白ページに自分流のメモを加えながら、各部署各人用のマニュアルとなる。一方で「SCRIPT」には、“余白”が無い。必要なことは細部まで、印字されている。“全員がすべてを共有”するスタイルだと言える。

映画の脚本には、“映る現象”だけが記されている。一方でSCRIPTには、その時の登場キャラクターの心情から時には、脚本家や監督の想いが記される。

どちらも同じ、「映画の設計図」でありしかし、結果は異なる。
時代が、結論を出そうとしている。

答えの無い世界に答えを描いてきた時代を越えて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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