見出し画像

【アーティストは要注意】有名な素人になるより、行くならもっと上

“プロフェッショナル”のプロデューサーと組めば、アーティストの価値は倍増する。このトピックでは、プロデューサーとの組み方を、知ることができる。独りで創りたいアーティストが世で輝く、ために書く。

--------------------------------------------------------------------------
アーティスト情報局:太一監督
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
--------------------------------------------------------------------------

『 “飛ばさない” という絶対ルール 』

アーティストは、“創るプロ”だ。しかし、どれだけ素晴らしい作品を生み出しても世に問う実力は、無い。もしも「わたしは作品の発表や配給にも自信がある」というアーティストがいたなら、こう聞いてみるといい。

「もしプロデューサーが、“僕も創れる”、と発言したらどう想う?」

アーティストとプロデューサーは、「分業」の関係である。互いの役目を担うことは愚か、手伝うことすら不可能なのだ。互いを信頼して、突き進めば良い。言葉にすればシンプルだがそこには、“鉄の掟”がある。

「飛ばさない」というルールだ。

互いの領域に、介入しないということ。いやもっと強烈であり、“相手を観察”するだけでも、信頼への裏切りだ。現実には、相手の作業進行状況を、「想像すること」も許されない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:映画「JUSTICE LEAGUE」のザック スナイダー監督、プロデューサーに名を連ねる「ダークナイト3部作」のクリストファー ノーラン監督との関係性を明かす

ザック・スナイダー監督が、プロデューサーだった“クリストファー ノーラン監督”を語った。ノーラン監督はスナイダー監督の仕事ぶりを気にしてメモを取っていたのかどうかを。

ノーラン監督は、「バットマン vs スーパーマン」やザック スナイダー監督の「ジャスティス リーグ」にも名を連ねており、2人の映画監督は、思いがけない友情で結ばれているように見えた。現にノーラン監督は、スナイダー監督が編集権を剥奪された後にジョス ウェドン監督が仕上げた「ジャスティス  リーグ」のカットを見た時、「“ザック”には、絶対に見せないように」と断言したと言われている。

最近のポッドキャストのインタビューで、スナイダー監督は、ノーラン監督に、自身が再撮影の後に再編集して完成させたIMAX版の「スナイダー カット」を見せたことを明かした。「彼(ノーラン監督)に映画を見せるときには、"さて、楽しんでくれ "と言うだけだ」とスナイダーは説明した。

「彼がいつも僕に、そう言うからね。クリスはもちろん天才だが、私が一番したくないことは、彼に自分の意見を言うことなんだ。だから彼の作品を観る場合は、「TENET」の時もね、“よし、君の映画を見せてくれ、私の心を揺さぶりたいんだ”とだけ言う。我々は自由なんだ」二人はクールな友情で結ばれているようだ。
実際に実現するかどうかは別問題だが、二人のコラボレーションはとても興味深い。 - JUN 25, 2021 COMIC BOOK MOVIE.COM -

『 ニュースのよみかた: 』

天才ザック スナイダー監督と、多才クリストファー ノーラン監督の友情は、“互いに一切介入しない”。「監督とプロデューサーの関係」であっても、という記事。

国際クリエイティヴにおいてこれは“当たり前”なのだが実のところ、このルールを理解しているプロデューサーは少なく、監督に至ってはほぼ、理解していない。プロデューサーは平然とクリエイティヴな提案をしてくるし、監督は常に、マーケティングに不満を抱いている。日本も、例外ではない。

『 プロデューサーと連携する前提の、絶対ルール 』

好むと好まざるとに関わらず、プロデューサーと監督は、互いの担当から出てはいけない。ましてや、相手の檻の中に立ち入ろうなどとは。どうせ、喰い散らかされる覚悟など無いのだから。

ならばこそ、共有しているプロジェクトの全関係者が、“どちらのネットワーク”にある人物なのかを、無視してはいけない。アーティストである貴方のクルーなのかそれとも、プロデューサーが連れてきたクルーなのか、を。

どれだけ親密になろうとも共同作業で気心の知れた関係になろうともけっして、“相手のネットワーク”と、親しくなってはいけない。個人的な連絡先を交換し、プロデューサーの耳に入っていない連絡を取り合うなど、斬首に値する。例外は無く、永久に、である。

もしも“ただの一度でも”、このルールを守れないアーティストがいたなら、関わらないことだ。その人物はいつか、貴方が大切に維持している相手に直接、連絡を取り始めるそして、コントロール不能な事態を引き起こす。

なぜ断言できるのかそれは相手が、クズだからだ。
プロデューサーの信頼を得られずに、“自分サイズ” 以上の成功は無い。

『 アーティスト×プロデューサーという黄金律 』

密ではない。
意外に想われるかもしれないがアーティストとプロデューサーは基本、接点が少ない。企画の始動にこそ重要な相談相手であり誰からも羨まれるパートナーだが、プロジェクトが進行していくにつれて業務は乖離し、会うことも減る。

そこに「飛ばし」は無くしかし、誰よりも固い信頼関係がある。

アーティストとプロデューサー、またはアーティストとエージェントの関係はこうして維持され、その結果は“個人サイズ”を越えたシナジーを生み、どこまでも拡大できる。これは比喩ではない。

貴方は自身を、どれだけアピールできるだろうか。できない。アーティストとは「自信過剰な臆病者」であるので、無理をすればグロテスクな自己主張となり、ネガティヴ キャンペーンに終わる。

プロデューサーは、100%の称賛で作品を、そして貴方をアピールできる。立場的な問題は一切無くまた、信頼の先に誕生した作品への愛もあり誰よりも、アーティストの味方となる。

蜜月だった企画開発期を経て、疎遠な信頼関係を続け、愛を語らう。
これが、アーティストとプロデューサー(エージェント)との「組み方」
である。

重ね重ねにもくれぐれも、“飛ばし”だけは厳禁だ。相手から紹介された人物は誰であれ“永久”に、相手だけの、ネットワークである。

『 有名な素人、その先 』

貴方は、アーティストである。
YouTubeをはじめても、YouTuberにはなれない。“気”が違う。貴方のジョークは空回り、マグマの情熱を隠しても視聴者には十分、暑苦しい。

ならばこそ、「ブランド」を目指すべきだ。
プロデューサーとの黄金律を手に入れれば、可能になる。

『 編集後記:』

己をふりかえれば、アーティストとはこうも引っ込み思案で、陰キャなのかと想い知らされる。YouTube準備が進む中で気後れし、ブログを書く手も未だ滑らかとはいかず。ただ、“実はパリピ”の偽物アーティストを見抜けるようになった。
これにはとても助かっている。

社交辞令の愛想笑いもできなくなった不器用な正直さを抱えて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記