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【キュレーター】アーティストの創作活動に、支援者が重要な理由

作品を創っているだけでは成功しないこと、アーティストは気付いている。一方で支援者との関係性には懐疑的で、創作への介入を拒む。このトピックでは、「支援者との連携方法」を、知ることができる。意識高いふりでも目先の生活費獲得が最優先なアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “パトロン”と“キュレーター“の違い 』

両者を混同しているアーティストが多いことが気にかかるましてや“映画業界”に関するならば、どちらの肩書きも存在せず仮にはそれぞれ、「スポンサー」と「プロデューサー」に置き換えて語られる。
それ、まったくの間違いだ。

古代芸術分野のラテン語に由来する「パトロン」とは、“保護者”の意である。けっして成金趣味の金配りや囲い込みではなく、スポンサーでもない。

博物館専門職員として認知された「キュレーター」とは、“育成者”の意である。けっして膨大なフォロワーを抱えたタレントではなく、プロデューサーでもない。

パトロンという保護者は“アーティストの志”を支え、キュレーターという育成者が“アーティストの作品を価値化”して世に問う。どちらもアーティストと作品にとってかけがえのない味方でありつまりは、“業界”にとって欠かせない地位である。

特に、情報拡散に品位が求められなくなった現代において重要になっているのは「キュレーター」の存在である。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アートの見方を変えるキュレーターたち

今日、「キュレーター」という言葉は、世界中のビエンナーレに出席する博識でジェットセッターのような人物を連想させるが、その仕事は必ずしも華やかなものではなかった。

20世紀半ば、舞台裏でたゆまぬ努力を続け、今日のような職業を定義するのに貢献した人物たちがいた。ほとんどの場合、彼らの名前は当時から知られていたわけではないが、その影響は広範囲に及び、画期的な調査、実験的な展示方法、世界的なビエンナーレなどを通じて、その後の現代美術の見方を変えていった。

後にキュレーターという職業がどのようなものになるのかを決定づけた者たちの中には、主要なビエンナーレの創設者から、境界を切り開くような展覧会で施設を変えたディレクターまで、さまざまな偉人が存在した。

アートと政治の融合を提唱したキュレーターもいれば、コンセプチュアル アートの革新的な発表方法を見つけたキュレーターも、それぞれの国のアートシーンに新しい息吹を吹き込んだキュレーターもいる。様々なアートムーブメントに着目し、アーティストのキャリアをスタートさせた貢献者たちだ。美術史は、影響力のあるキュレーターたちによって開発されてきたのだ。  - AUGUST 22, 2021 ARTnews -

『 ニュースのよみかた: 』

美術、芸術界を発展に導いたのは「歴代キュレーター」の活躍だが、当時そんな肩書きも職業地位も存在しなかった。その手腕は様々ながら、著名なアーティストの“スタート”を生み出した、という記事。

キュレーター最大の技術を評するならばそれは、“情報感度の高さ” だ。「作品の本質」を見抜き、「アーティストの人間性」を比して、そのバランスに見合う視点に気付く力だ。作品とアーティストの本質に興味を示す層を観抜き、その関心を集めるに必要な方策を開発する者こそが、キュレーターである。

『 映画界に“キュレーター”が必要な理由 』

キュレーターがいないままなら、インディペンデントが枯れる。現在はまだ“平和余力”の中にあることから多くのアーティストたちは、この先に待ち受ける大恐慌に気付いていない。貧乏創作に明け暮れる毎日どころか、自身が創作活動など続けていられる状況ではなくなることに、気付いていないためだ。

映画界は永続し、目先の“生活費用仕事”で食いつなぎながら、素人コンセプトの“雰囲気だけ短編動画”を多発させて意識高い自身を気取っていられるのだと想いこんでいる。近未来が観えないのは上を観ているからであり、生活にすら苦慮する困窮生活を無視しているためなのだが、認めない。

『 映画業界に必要なキュレーター像とは 』

このまま進めば映画業界の高齢化は止まらず、観客意識との乖離はいよいよに致命的な決裂を生む。映画界には、“残酷なキュレーター”が必要なのだ。圧倒的多数の“アーティスト風素人”には目もくれず、ただストイックに覚悟を持って創作活動を続けている「アーティストの人間性」を見抜き、その数少ない正解の中に光る「作品の本質」だけをみつけるキュレーターが。

必要なのは、「作品:アーティスト」の“価値比率50:50”を見極めて、人類総クリエイター時代の泥の中で共に溺れながらそれでも、近未来へと才能だけを押し上げられる“本物のキュレーター”だ。わたしも、その独りになる。

不可能だとは想わない。
タイタニックは、沈む。しかし“インディペンデント”という救命ボートは生き残る。

『 “支援される”という貢献 』

アーティストの多くは創るプロフェッショナルであり、社交性が低い。誤解無いように補足するが、アーティストは部屋に籠もりがちで友人も少なく――などとは言っていないむしろ大多数の“自称アーティスト”は自己肯定のための浅い創作活動に比して、深く遊び好きだ。友人知人仲間を連れ立って“クリエイティヴ”を名目に、飲んで語らうのが大好きだ。

問うべくは「社交性」についてだ。
品位在る立ち居振る舞いに誇りをもち、上級な交流に足る常識と上質な情報に精通したアーティストでい続けられるかどうか、だ。

なにもモナコ公国のような小さなテーマパークで4,000円のブリオッシュを朝食にする必要はなく、実家の納屋をアトリエにしていようとも、完璧に整頓された作業デスクに向かう塵一つない空間にポプリが香り、4年履いても汚れ一つ無いスニーカーで歩けているかどうかだ。常に。

学生のアトリエは、汚い。巨匠の生活は、美しい。
“支援される”ということは、「支援に値する気高き上質」で在り続けるということだ。

『 編集後記:』

毎月ひとりのアーティストを支援しようと決めて生きている。今月は、著名なアニメーターの「単独個展」を決定する。基本、口は出さないがお金は出す。労も技術も機材も情報も知識もアイディアも提供するが、見返りは求めないしカフェでのお茶も奢らせない。我ながらなかなかに徹底した、独裁的支援である。それを許してくれているアーティストたちは、このわたしが“無害”だと認めてくれているのだろう。

わたしは求められる人間を生き、学び、映画界の頂点に立つ。
その為だけに在る。他、人生に一切望みはない。

アーティストたちに支えられながら我を描き、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記