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「観賞」と「鑑賞」は、違う

どうでもいいこと、にこそ意義ある時代が着ている。
ならば、「曖昧を正す意義」を検証してみる。
アーティストは時代を、救うのかもしれないのだから。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

わたしには、使わない文字がある。
「見る」と「思う」だ。

言い回し含めて他にも幾つかあるが、語るべき強い意図はない。
しかし、「見る」と「思う」だけは、使わない。

新聞社の連載やメディアに出稿すると、必ず修正される。
そうなるだろう、と理解していながら気付かぬふりで、直されている。

SCRIPT(映画用脚本)の執筆時には意図的に主張するが結局、「俳優のプロダクションとマネジャーに心象が悪いので――」プロデューサー意向で直される。一般常用こそが優先されるべきなのでそれでいいのだがわたしは、
「観る」と「想う」を選び、使い続けている。

 ・目で捉える行為が、「見る」
 ・意識して目で追う行為が、「観る」

散歩否定派なわたしがスタジオから出るときは、観ながら生きている。

 ・頭で考えるのが、「思う」
 ・ココロで感じるのが、「想う」

理屈よりも、直感が作用する理由を重視すべきだと、想っている。
創作活動を生きるわたしなりの意思でしかないので、文字への答えではない。

ところが、だ。
「観賞」と「鑑賞」の違い、ご存じだろうか。
こと映画人の文章にも曖昧に用いられているように感じており、歯がゆい。

 ■ 観賞と鑑賞の違い
  ・楽しみ味わうことを、「観賞」
  ・品定めして味わうことを、「鑑賞」

驚くべきは、“芸術”に関する特記事項が定義されている点だ。

視覚的な情報をそのまま楽しみ味わうことが「観賞」であり、
特に芸術作品の価値を判断し、良さを理解して味わうことが、「鑑賞」だとされる。さらに、娯楽作品の場合は「観賞」、芸術は「鑑賞」などと。

 娯楽映画なら、「観賞」
 芸術映画なら、「鑑賞」なのだ。

生涯を通して、命に代えても、 “明確に” 使い分けねばならない言葉である。

その他では、使わない「真実」と、使う「事実」。
説明には2万文字が必要になるので、気になっていないふりをする。

さて、はじめよう。

『 “クリエイター” エコノミーという環境 』

10年後も残る仕事、「クリエイター エコノミー」。

クリエイターエコノミーとは、
“個人のマネタイズ”をプラットフォームやテクノロジーがエンパワーメントしている流行の活動。つまり、「ネットで稼ぐ」という生活のことだ。

人々の生活は長きにわたり、企業に属するサラリーマン、または起業リスクを負う雇用主もしくは、自営という自由を選ぶ生き方の3択だった。そこに、企業が自営を下支えするオープンな環境が整った現状を示す言葉として、一般化しているフレーズだ。

しかし、創作活動に生きる我々アーティストにとってはどれも、少々肌触りの悪い異質である。たしかに、3択の中に属し、クリエイター エコノミーの恩恵も受けるかもしれないがどうも、馴染まない。

履き慣らされた他人の靴に感じる、拒否反応だ。
理由を検証してみると、想わぬ事実に行き当たった。
わたしたちアーティストに重要なのは環境ではなく、概念なのだ、と。

『 “クリエイティブ” エコノミーという概念 』

環境を示す“クリエイター エコノミー”に似ているが、異なる言葉だ。
「クリエイティブ エコノミー」とは、概念のことを指す。
直訳すれば、「創造的な経済」。

創造性とは「無から有を生む」性質つまりは、“無から有を生む経済”だ。

そもそもは経済圏で語られる用語であり「持続的に成長する経済の形」を示したものだが、そこに、過去と未来が含まれている。

これまでの社会も当然、無から新たを生み、持続的な成長を続けた結果である。しかし一方でそれは、生み出されて“流行ったモノ”が経済を牽引したに過ぎない。流行るとはつまり、一般に認知され、求められた結果だ。

一般人が不文律以上に求めなければ、生み出されたモノに価値は無かった。それが、これまでの経済を支えた原則である。万人受け、消費社会を生み出し、資本主義を矢面に立たせた要因だが、そう語られることは少ない。

しかしこの現代における「無から有を生む経済2.0」には、未来が含まれる。

『 ビジョナリーの進化形、アーティスト 』

未来を見通し、進化を、経済発展を率いてきたのはビジョナリーに違いない。彼らは過去から学び、現在を勝ち、未来を紐解いた偉人たちである。

だが、
世界が一時停止し、経済がリセットされた現在、ビジョナリーは果てた。

お気づきだろうか。
アーティストたちの眼光に。

こんなことを記すのは、火種かもしれない。だが、問いたい。
「この状況を悲観して気落ちしているアーティストなど、いるのか?」

近代人類史のマイルストーンに刻まれることが確実な現状に立ち会っているアーティストたちは興奮し、創作意欲に満ち、マスクを引き裂いて叫びたいほどの情熱をたぎらせている。その間にわたしが連絡を取り合った各国数百名に限れば例外など、観たことが無い。わたしはその中でも、上位にいる。

アーティストは確実に、笑顔と喝采の未来をみつめている。
比喩などではなく、手の届く、その場所を、観ている。
判らないなら、問うてみるべきだ。
本物のアーティストなら必ず、色形に限らない、温度も臭いも伝えられる。

ビジョナリーとの明確な違いを、逃げずに説こう。

 ・未来を読み解いた、ビジョナリー
 ・未来を生む、アーティスト

アーティストは、ビジョナリーの進化形にして、未来への解である。
中世以来、珍しいことではない。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:ゴールデングローブ賞に批判集まる:Amazon Studiosが関係停止を発表し、トム クルーズが過去の受賞を返還につづいて、最多ノミネート最多受賞スタジオのNETFLIXが撤退を表明

アカデミー賞の前哨戦として映画界からの注目が集まるゴールデングローブ賞は、ハリウッド外国人映画記者協会(HFPA)の会員投票で決定されている。今年2月、ロサンゼルスタイムスのスクープにより87人のHFPA会員の中に黒人会員が一人もいない事実が発覚。ハリウッドの映画界に論争を巻き起こしていた。HFPAは早急な改革を約束したが批判は続き、毎年担当してきたNBCが2022年の放送をキャンセル 、Amazon StudiosがHFPAとの関係停止を発表。さらなる著名俳優たちの批判に加えて、過去に3度の受賞経験があるトム クルーズが受賞像を返還するなど、抗議が続いていた。そんな中、最多ノミネート最多受賞スタジオのNETFLIXが撤退を表明。「NETFLIXは、HFPAとの如何なる活動も停止する。」対応に追われたHFPA会長のアリ サーが、Netflixの共同CEO兼最高コンテンツ責任者であるテッド・サランドス氏に宛てた手記を公開した。「私たちは、あなたとあなたのチームにお会いして、すでに進行中の具体的なアクションについて話し合いたいと思います。オープンな対話をすることで、これらの懸念にできるだけ早く対処することができます。また、ご指摘いただいたいくつかの問題と、いくつかの誤った情報を明らかにしたいのです。」 - MAY 07, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 編集後記:』

白人至上主義が表面化して久しい、ハリウッド映画界の激動ニュースだ。
HFPAは大慌ての果てに以降、一方的な改革案を公表したことで、更なる窮地に陥っている。改革案を、箇条書きしてみる。

・ダイバーシティ&インクルージョン(※人材の多様性を認めて受け入れて活かすこと)は当社の改革プランの中核であり根幹を成す柱のひとつ
・DEIコンサルタントとチーフダイバーシティオフィサーを直ちに迎える
・メンバーとスタッフにDEIトレーニングプログラムを実施する
・18ヶ月で最低でも50%の成長を約束
・メンバーの規模を見直す
・プロフェッショナルなスタッフを拡充
・改革プランの実施を支援するための独立したレビューボードを設置
・現在のメンバーは新しいメンバーと同様にすべての新しい資格基準を遵守
・※NETFLIX社が懸念しているノミネート時点での記者会見は必須ではない

「新しい行動規範と厳格な倫理基準は、ゴールデングローブ賞の開催を強化するものです。また、NETFLIX社の懸念を理解し、対処するために、御社の広報担当者個人と会合を持ち、これらの懸念を新しい行動規範に反映させることを約束します」

HFPA会長:アリ サー

アメリカらしい、典型的に極端な掌返しと圧だ。
わたし個人はそこになんの感慨もなく本件には、人種差別問題ですら無いビジネス臭を感じている。

映画芸術に限らず、創作活動は大小にかかわらず、ビジネスとの両輪無くして進めない現実がある。確かに、単館公開レベルのインディペンデント映画でも、アストンマーチン2台や都内マンションくらいのお金を投じるのだから、気合いだけでは勧めない。

だがどうしても、ビジネスを意識すればするほどに、創作へのピュアな想いに濁りが生じてしまう。この不均衡を打破して徹底的なクリエイティヴを追求するためにも、“分業”が重要だ。

企画はプロデューサーが生み、作品は監督が生み、
共に、立派な“映画”へと育てあげたいものだ。

美意識と現実のバランスに唇を結ぶ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記