中村文則『カード師』を読む

自分の力ではどうしようもないことが起きたとき,私達はただただ絶望するしかないのだろうか。

例えば,東日本大震災。ACジャパンのCMしか映らないテレビ画面を見るだけで気が滅入ったことをよく覚えている。
多くの命が失われていても,日常は続いていて,書類の山を処理することがあのときの私の救いたっだ。あまりに残酷な現実を直視できなかったのであえて何も見ないようにした。

そして未知のウイルスによって,今まさに私達はまた絶望の淵に立たされている。

中村文則著『カード師』は,2019年10月から2020年7月まで朝日新聞に連載された小説で,いまの時代に読者の心を軽くするための処方箋を提供してくれた,そんな物語だと思う。エンタメだけれど,緊急事態を真正面から捉えたストロングスタイルな小説だ。

あらすじ

占いを信じていない占い師であり、違法カジノのディーラーでもある僕に舞い込んだ、ある組織からの指令。それは冷酷な資産家の顧問占い師となることだった──。国内外から新作を待望される著者が描き切った、理不尽を超えるための強き光。新たな代表作、誕生!

本作は「僕」が占い師またはディーラーとして,資産家「佐藤」のオフィスや違法カジノを往来する過程で,回想や手記が挿入される形式となっている。物語が語られる順番は,以下のとおり。

第1部 現在
第2部 過去「僕」の幼少期ーディオニソスの説明含む
第3部 現在→1386年錬金術師の弟子の手記→現在→1583年魔女狩りに関する手記→1933年ナチス政権下の手記→現在
第4部 過去「佐藤」の遺書(幼少期~東日本大震災)→現在
第5部 現在

基本的には「僕」目線で起こる様々な事件を軸にして物語が進行する。特に第3部のクラブRでのポーカーの描写は手に汗握るものがあるが,より重要なのは第4部の佐藤の回想だろう。
これまで一貫した語り手であった「僕」から遺書という形を借りて「佐藤」が語り手となるわけだが,「僕」と「佐藤」がある意味同族であることが示される。以降の「僕」は「佐藤」を理解しつつも,この時代を生きていくことを模索する。

要点メモ(時系列順)

以下,物語をよく理解するためにポイントとなる情報を時系列で記載した。メモ程度なので誤記入・補足があればコメントいただきたい。

1967 「佐藤」生まれる
1970 三島由紀夫の自殺・・・企業トップの「男」7歳
1974 ユリゲラー来日(日本におけるオカルト元年)・・・「佐藤」7歳
1976 『神々の沈黙』発行
1988 「佐藤」大学で「I」と出会う
1989~1995の間 「僕」がブエル召喚・・「僕」小学5年生(10~11歳)
 →「山倉」が離職,ブエルと契約「24年後,魂を奪う」と宣言
1995.1 阪神淡路大震災・・・「I」死亡(同時期に佐藤の同僚・恋人は交通事故で死亡)→佐藤UFOを見る
1995.3 地下鉄サリン事件
1999 ノストラダムスの大予言
2011 東日本大震災・・・「英子」死亡→佐藤UFOを見るがよく見ると飛行機にしか見えなくなる
2014~2019 「僕」(34~35歳)と「佐藤」が出会う
※2019.10朝日新聞に連載開始
2020.2 日本に新型コロナウイルス確認・・・「佐藤」の死亡
※2020.7連載終了

上記のうち,強調してある項目は日本における歴史的な事件であり,「佐藤」にとっては占い師が予言できなかったことである。
つまり占い師が未来予知に敗北し,「佐藤」がこれを経験するたびに現実に色を失っていくことになる。

僕と佐藤

「僕」と「佐藤」の共通点としては,そもそも辛い幼少期にオカルトに魅入られて自我を保ったという点だが,異なるのは「僕」が魅了されたのは悪魔学だったのに対して,「佐藤」は超能力だったことだろう。このあたりは詳しくないが,時代的に流行していたオカルトの違いだろうか?

幼少期の「僕」は自己肯定感が乏しく(母親から愛されないことに起因?),他者との関係性を作ることが難しい。悪魔ブエルを内在することで欲望とのバランスをとるが,酒神ディオニソスを知ることでプロ手品師として人間を喜ばせる存在になりたいと目指す。しかしアガリ症により手品師の夢は絶たれてしまう。その代わり占いを信じない占い師・詐欺ディーラーとして己を偽って生きていくことになる。まるで死ぬまで錬金術の秘密を口にせず,夢を守った老いた錬金術師のように。

対して「佐藤」は人間への興味がもともと欠損しているが,「I」や「英子」との出会いを機に歩みよる。少なくても他者を理解しようと努力しているように見える。しかし残酷な現実が彼らを損なってしまう。超自然的な予言などないと知りながらも「I」を追悼するように占い師を雇う「佐藤」は,英子にそれを弔いと表現される。
絶望すべき自然災害に対して,それにあらがう術が本当にないのであれば,この世界に意味がないというように。それを模索しなければ生きてはいられないというように。

「佐藤」は「僕」の占い能力に,賭けているが残念ながら裏切られてしまう。英子から説明を受けていない「僕」(と読者)にとっては意味のわからない狂人でしかないが,第4部の遺書を読むことで,「佐藤」にとって占いがこの残酷な現実からの最後の希望であったことを知る。

小学5年生の「僕」はブエルとの契約の代償として24年後魂を奪うと宣言されているが,連載中の2019~2020年はちょうどその年に当たる。結果的に死は免れているものの,魂を失うとはなんだったのだろうか。

私は「佐藤」の死が「僕」の魂の代わりに代償を払ったのではないかと感じている。初対面の際に円形の絨毯を魔法陣とした際に死を肩代わりしたのではないか。こんなファンタジーのような妄想が読後も頭から離れない。
そう思うのはこのふたりが個別の人間なのはなく,双子のように絶望を経験した存在として描かれているからだろう。

まとめ

2021年現在,緊急事態宣言下の東京で私達は絶望せずにいられるだろうか。なにかに盲信しないと精神を保てないことがすごく身近に迫っている。それも個人的な話ではなく,日本全体がその状態に陥っている。

もちろん占いや予言ではこの難局は避けられない。いくら神に祈っても東京オリンピックまでにウイルスが消えてなくなるわけではない。
大事なのは科学的根拠が示された感染症対策を根気よく続けて行くしか現状は変わらない。

でも,心はそれに耐えられない。もしかしたら奇跡ってあるかもしれないと,“わかっっていても”信じてみること。人間には計り知れない未知の世界があるかもしれないとなかば諦めのように心に余裕をもつこと。それが自分で自分の心を守る方法なのではないか。


本来予定された結末があったはずの小説に同時代的な問題を織り込んだことは,新聞連載が担う責任を著者は非常に重く受け止めたのではないかと推察する。
この時代に本書を手に取ることができることこそ,奇跡なのではないか。

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