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【ホモ・イキノミクス提唱】

さて、今回はどのような経済主体であれば、コミュニティ・ベーシックインカムが成立するのかについて思考実験をしたい。
私たちが普段持っているイデオロギー(ホモ・エコノミクス)に照らし合わせれば、ベーシックインカムに合理性は感じない。

因みにネットから引用するのは卒論的に禁忌だが、そんなものは知らぬ。ありがたく仮置きさせていただく。
ホモ・エコノミクスとは、自己の経済利益を極大化させることを唯一の行動基準として行動する人間の類型のことをいう。経済人。
https://japanbrand.jp/dic/ホモ・エコノミクス.html

言うなれば、
・常にコストパフォーマンス(経済合理性)を追い求め
・役に立たないもの、カネにならないものは市場原理で淘汰され
・つながりとか贈与とか、それで無料にされるのは困る
のである。しかし頭でっかちな私たちは、大事な観点を忘れてしまっている。何か。
経済の語源はは経世済民であるということだ。市場ばっかり見て、世も民も、教科書からごっそりさようならしているのだ。

そして、上記のような人間は私たちの周りにいるのだろうか。狡猾で、常にフリーライドできるところを探し、貪る人はどこにいるんだろうか。それは、行き過ぎた資本主義が作り出した病理なのではないか。それを本気で望んでする人なんて、どこにいるんだろうか。
むしろ私たちの関係性を市場原理に委ねすぎてしまった結果、孤独は進み、自殺者数も相変わらずなのではないだろうか。
いつまで私たちは、政治家や国家といった手触り感のない対象に、テレビ越しに口を振り撒くのだろうか。
また脱線してしまった。
さて、ここで私はホモ・イキノミクスとは何か?について述べたい。近い概念はあると思うが、今のところ探しても分からなかったので、自分の造語として仮に置いておきたい。

ホモ・イキノミクスとは、全体(宇宙、地球、国家から族に至るまでの中で、個々がリアリティをもって接することのできる範囲)の利益(お金に限らないキャピタル)を自然に循環することを一つの行動基準として行動する人間の類型である。

言うなれば、
・私たちは、常に健やかな”息”を求める。
・私たちは、”生き”がいを求める。
・私たちは、”粋”なことを求める。
だろうか。

粋な人たちが、分かち合いたいことを分かち合えば、”衣食足りて礼節を知る”経済圏で生きることは可能だと考える。

粋な人が、分かち合いたい(もしくは他者が必要としているもの)余剰を分かち合う→みんなで分かち合う、愉しむ→そこから発生する動きで、また余剰(お金を含めたキャピタル、エネルギー)が生まれる→それをまた分かち合う

イメージはこんな感じです。


何故できるのか、まだ言葉にできていないが。誰か一緒に言語化してほしいところだ。少なくとも今携わっている『まぁるい長屋ぜん』では既に半分そんな感じである。衣食住は足りている。払わなければならぬがない。畑もある。分かち合いたい人たちが分かち合いたいことを無理なく分かち合っている。時に整体、料理、写真、占いにお手玉、そして対話。
お金はまだ榊さんの持ち出し(ありがとうございます…!)だけれど、回り始めている。何よりみんな愉しい😆

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