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子育ては大変か 2022年の私についての雑記

子どもが産まれて約1年。
1月に出産した私にとって2022年は子育ての1年だった。
いろいろ身の回りがガラッと変化していく中で
よく周囲の人たちから
「大変?」「大変でしょ」
と聞かれた。
そう言われるたびに、まぁ…そうですねぇとなんとも歯切れの悪い答えになってしまう。
「子育ては大変か」と聞かれると、なんとなくそうです!と言い切れないような気持ちになるのである。

そりゃ、もう限界だ〜と泣きたくなった日はたくさんあったし、
一瞬一瞬が貴重だからとか言えるほど、子育てに生き甲斐を感じるタイプでもない。
でもやっぱり日常なので、こんなもんかと慣れる部分や諦めによってやりくりできることも多い。
振り返ると、新しいあれこれに悩み振り回されて、一気に駆け抜けたような1年だったけれど、
決してそれが大変だったことの100%ではなかったと思うのだ。

それでもなんとなく大変だなぁという気持ちはあった。
そして12月、きっと辛かったのは

今までどおりの自分ではいられなくなったこと
知らずしらずのうちに変わっていく自分への戸惑い

こういったことだったのではないか、と気付いたのである。

本来私はオタク気質で遊び好きな性分である。
音楽もアニメも漫画も、はまり込めばどっぷりだし
夏はフェスに行き、はまっているジャンルがあれば同人誌販売会にも行くし、なんならコスプレもする。
酒を飲むのも好きだから、親友たちとほぼ月イチで飲み歩き、歌いまくり、だらだらと水タバコを吸いに行き……
コロナ禍になってからはゲームもするようになって、ポケモンやらスプラトゥーンやらゼルダやら、散々遊んでいた。
もちろんその間に結婚や退職や専門学校に通ったりと
たくさんの変化はあったわけだけれど
変わらず遊びまくっていたなと感じる。

妊娠中に、これからはこんな生活はできないぞと当然わかっていたし、理解していた。
だけどやっぱり産まれて、未知なる生活が始まると話が違う。
友人たちのインスタグラムで発信される
楽しそうなイベント、展覧会、仕事での活躍や趣味の投稿……
何もかもが羨ましくて、自分だけ別の道を歩いているような気がして
何かしたくても実行する時間も元気も足りなくて、クサクサする日がたびたびあった。

12月のある日、夫が共有してくれた記事はまさしく自分であった。

#ゲンロン友の声 |027 】子供が生まれてから本を読む気になれません

https://www.genron-alpha.com/voice20221212_01/

選べなくなった、のではなく「選ばなくなった」のだ。

かつて好きだったひとを、好きになれないのが悲しい

https://www.genron-alpha.com/voice20221212_01/

この一言が私のモヤッとした辛さを全て表現してくれていると感じた。

それまでは、これからは我慢だと思っていたのだ。
でも、思ったよりそれは我慢ではなかった。
そのことに戸惑い、悲しみを感じていたのである。

別に私は、子育てしてるからエライなんて微塵も思わない。
まして、より高みに行ったので今までのことには関心ありません、とかそういうことではない。
でもなんだか、単純に好きだったことに身が入らないのである。
絶対行きたい!と思っていたような事柄に対して
まぁいっか、と思ってしまうような熱量の差が生まれてしまった。
以前の私だったら違ったのに、そんな寂しさが募っていたように思う。

東浩紀もいうように、きっとこれは誰にでも起こりうる変化であると思う。
やはり「子どもが生まれる」という出来事はそれだけビックイベントなのだろう。いや、超ビックイベントである。

ちなみに、私は「お母さんになったんで」というのはなんとなく言いたくない。
それだとまるで「母親」という役にはまろうとするみたいで、居心地が悪い。
なので、ちょっと変わったんだなとかそれぐらいに留めておきたい。
だから、私の大好きな友人たちには「そうなんだなー」と思って、変わらず優しく付き合ってもらえると嬉しい。
私も同じくらい、とても寂しい気持ちがしているので。

とはいえ、再び楽しめる日々も絶対に訪れるだろうという確信もある。
ただ、それは来年や再来年ではなく5年10年先のことになるような気もしている。
色々と焦りがないと言ったら嘘になるけれど
まぁそれもそれでいいか、と日々子どもを前にしながら思っている。
私には私のタイミングがきっと訪れるはずなので。

2022年の私はこんなことを思っていたのだということを書き残したくて
突然ながら書いてみた。
ついでに友だちへの私信も込めて。
2023年もたのしい1年になりますように!


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