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女王の靴(短編小説)

短編小説を創作しました。

女王の靴

最後に舌に残った味は、苦々しいあの女の靴の味だ。きっと私は気がおかしくなっていた。いや、今もその続きであり最期まで気狂いのままだ。

あの女の香りが、たった鼻の先で分かっただけで、私は逆らうことが出来ないのだ。
女王だ。私の遺伝子は、女王の下僕になってしまったのだ。

私が彼女を知ったきっかけは、縁談だ。
「お前も起業家として立派な地位なんだから、独り身でいるより誰かと一緒になったら良いんじゃないか?」
と、友達が私に持ち掛けたのだ。その友達は、大学の仲間であり、信頼のある間柄であるため、私の身辺を気にかけてくれていた。
「俺は出来た嫁に恵まれて、子宝にも恵まれた。幸せなんだ。親孝行も十分に出来ていると思っている。俺は、お前にもその気持ちを知って欲しいって、お節介だと分かっているけど言っているんだ。」
「そうだな、良い話があれば考えても良いな。仕事で浮ついた事に頭が回ってなかったから、どうしても腰が重かったしな。何よりも、社会に出てから縁がなかったからな。」
「俺の嫁の友達に、丁度良い人がいるんだ。紹介しようか?」

そんな風な流れで、私の前にあの女は現れた。
友人と私、友人の嫁さんとその友達2人。まだ新築の雰囲気が残っている住宅のリビングで、木目の綺麗な薄黄色のテーブルを挟み、友人と私、女性陣と対面して向かい合っていた。
嫁さんは、2歳になる男の子を抱えながら、テーブルに置かれた紅茶が入ったマグカップを片手に友達と子供と話している。
「お見合いとか合コンみたいな席になっているけど、まぁそんな感じだな。コイツ、ワーカーホリックみたいになっているから、良い話が今まで無かったんだよ。誠実なやつだからさ、ちょっと仲良くなってくれたら俺は嬉しいんだ。俺は、休みだし子供と遊ぶからさ、悪いけどちょっとお前らだけで話してみてくれよ。」
友人とその嫁さんは、子供と一緒にリビングのはじのおもちゃ箱の方へ向かって行った。
初対面の女性陣2人と、私1人では、流石にあらかじめ話は通っているとはいえ、沈黙が重く流れるのは必然であった。
「あの、その紹介したいという子は、この子で、私の友達なんですが、あの2人とこの子は初対面なんです。」
最初に沈黙に口火を切ったのは言ったのは、顎の辺りで揃えた茶髪に緩くパーマがかかった、一般的という言葉が当てはまる女性だった。その子というのは、その隣に座り、ここに来てからあまり話さず地味な印象を与える女性であった。
まさしく、その女こそが女王だ。
最初の印象は、地味だった。胸の辺りまで伸びた黒髪に、あまり日に当たっていないだろう白い肌。服装は、白いシャツに淡いベージュのカーディガン。確か、淡い灰色のスカートを履いていた。
「アイツのお節介話もそうですが、僕のために来て頂きありがとうございます。初対面だし、僕は何度か来た事ありますが初めての場所で、緊張されてますよね?」
私は、女を気遣うように言った。
「いえ、私も良い縁がなくて、この子にボヤいたらこうして顔合わせてみようってなったので、こちらこそありがとうございます。」
そこからは、仕事の話や趣味の話、ある程度のプライベートの話などで徐々に空気がほぐれて行った。
特別共通点があったわけではないけれど、彼女の印象が悪いわけでもなく、話していても退屈ではなかったので、3人とも砕けた雰囲気になった。
友人が、折角の集まりだし出前でも取ってみんなで食事をしようという話になり、オードブルを囲み子供をあやしながら、楽しく会食をした。
あの女と私は、家の方向が同じだったため、同じタクシーに乗って帰る事になった。嫁さんの友達は、その日泊まるといって、帰るのは私たち2人になった。
「連絡先、交換しませんか?」
私は、自ら申し出たこの願いが自分が死神に魂を捧げる事とは知らなかった。死の契約書にサインを書くようなものだったのだ。目を伏せてスマホを覗き込むあの女の、長く鋭く伸びたまつ毛が、美しく見えてしまったのは、既に女王の毒が私に回っていたのかも知れない。

私とその女は、2人で会うことが増えた。女は、当然会うほどに距離が近くなり、気が合うような気になり、自然とお互いに恋仲のような関係に発展していった。
「最近、おしゃれになったね。なんだか可愛くなっていく君を見てると、俺は君をもっと大切にしたくなるよ。」
「あなたのお陰だよ。あなたの隣に相応しい彼女に、私はなりたいからね!」
私が褒めると、女は一歩下がりながらも私を立てた。私は、自分とこの女を誇らずにはいれなかった。例の友人にも、彼女を自慢し、友人もそれを喜んでくれた。
私は幸せという毒に回されていた。

そんな、野に咲く花の様に、健気ながらも私の心を優しく彩ってくれる彼女に大嵐が起きたのは、交際が半年になった頃である。
彼女の友達が自殺した。そう、あの時一緒に来ていた普通に相応しい友達だ。
悲報を受けた彼女は、ひどく狼狽し、初めて彼女の純粋な黒い瞳から大粒の涙がとめどなく溢れるのを見た。私も苦しくなり、彼女を抱きしめた。
棺に入った友達は、ノームコアという言葉を纏っているのかの様に、静かな眠りについていた。自宅の駐車場で、辺りが寝静まった深夜帯に、車の中で練炭を焚き永遠の眠りについた。
「妻のために、ご足労頂きありがとうございました。」
彼女の旦那は、私たち2人に焦燥し切った青ざめて虚な表情で頭を下げた。
私の友人夫婦も駆けつけていて、嫁さんも目を真っ赤にしてハンカチで目元を拭っていた。
この死が、女が女王である伏線であると知らずに、悲しみに包まれた空気の中、私は呆然としていた。周りの中年女性たちのモノ好き話が勝手に耳に入り、遺書は見つかってない他、死の予兆もなかった事が分かった。
「こないだまで連絡取り合っていたのに…。」
女が、友達の最後の電話相手だった事は分かっていた。だからこそ、この女は悲痛に打たれた様子だったのだろう。肩を抱き寄せ、その悲しみを一緒に背負うような私の姿は、今思えばなんで滑稽だっただろう。

その日は、彼女のアパートに泊まる事になった。1Kの小さな部屋のシングルベッドで、狭いけれど2人で寝た。
「あなたは私の前から居なくならないでね。」
「大丈夫、大丈夫だよ。」
悲しみに暮れる彼女に、体温を捧げながら呟いた。

「あなたは、私の大切な人なんだから。」

突然頭の中がこの言葉に埋められた。彼女と一緒に居るときも、抱いているときも、何度も愛を伝えられていたけれども、この一言で私はトドメを刺されたように頭の中がいっぱいになった。
悲しみに震えているけれども、真っ直ぐに響くような、直接脳に打ち込まれるような、疑いのない生涯の誓いのような真っ直ぐな声だった。
返事もせずに、私は彼女を抱きしめた。そして、彼女は鋭いまつ毛の林の隙間から見えるオニキスの様な瞳を私の瞳に映しながら、血の通いきった赤い唇を少し開けながら、喉の奥から真っ直ぐに言葉を私に撃ちつけた。
「じゃあ…キスして。」
私は指示に従う犬のように、彼女に熱く口づけをした。熱を帯びた唇が、焼印のように押された。
私はまんまと奴隷になったのだ。

女は豹変したわけじゃなかった。変わらず、私と悦ばせるような言葉を交わしながら、私に色々な要求をした。
「あなたと一緒に住みたい。」「あなたの生涯に生きていたい。」「この幸せを大切を一緒に大切にしたい。」
ありふれた言葉であるし、私も学生時代に恋人がいたこともあって、この言葉で気が狂ったように有頂天になるような人間ではない。だが、気づけば彼女のために自分が生きているような感覚になっていた。
「私だけの願いを聞いてほしい。」
この言葉を気づいたら毎日のように聞くようになっていて、それが当たり前のようになっていた。そして、彼女の願いを違えてしまうと、まるで赤い血が流れていないかのような冷たい目で、私にこういって聞かせた。
「あなたは色々、私のためにやってくれているのに、こんなミスをしちゃう事あるんだ。私はそれを許すけど、あなたが自分が悪い事したと思うならば、反省をあなたがあなた自身に証明しなさい。」
時には、自分の間違いを悔やんで苦しみに打ちひしがれるような気持ちに押しつぶされそうになった。
「私はあなたから離れないし、支えてあげるから。」
聖母マリアのように、女王は私を抱き寄せた。香り、体温、感触、全てが自分を落ち着かせる安定剤のように心地よく感じた。
仕事は順調だったが、大きな商談の前や失敗などがあった後には、すぐに彼女に連絡した。彼女は、自由出勤の仕事に就いて、私の都合に合わせるようになったが、思えば私が彼女の都合に合わせていたのかも知れない。当然、私の収入で彼女は生活をしていたのだが、私はそれを幸せにさえ思っていた。
「俺には君がいなければ駄目なんだ。君は、俺の太陽だよ。俺は君に照らされる月だ。」
彼女に抱きしめられながらその言葉を漏らしたとき、彼女の口元には自信に満ちたような笑みが浮かんでいた。

「結婚しなさい。」

女王と籍を入れ、私の事業を彼女は手伝うようになった。元々個人で経営していたから、2人で仕事を分担したのだが、それも女王の指示の分担であった。彼女の仕事内容の理解と経営能力が高いことを知り、私の両親への挨拶に来たときも、両親を驚嘆させ、こんな息子で良ければよろしくお願いしますなんて、頭を下げる始末だ。
女王の両親は、菩薩のような笑顔とゆったりと朗らかで余裕のある声で「娘をよろしく頼むよ」と言っていたが、思えば不気味なぐらいに穏やかだった。一般的な一人っ子家族だが、どこか模造品のような作られた一般を感じる印象だったが、その時はそんな考えをした自分を恥じた。

縁を繋いだと言える私の友人夫婦も、勿論この結婚を喜んだ。ただ、その嫁さんに後日個人的にお茶の誘いを受けた。
くれぐれも内密にとの事だった。やましい事なんじゃないかと疑ったが、そうじゃないという神妙な雰囲気が出ていた。

「…大丈夫?」
「どういう事?」
突飛な嫁さんの言葉に、私は戸惑った。
「自殺した子、居たじゃない?あの子とは私、高校で3年間バイトしてたときの友達なんだけど、別の高校であまり交友関係は詳しく知らなかったの。私は他に友達居たけど、あの子とは2人で遊ぶことばっかだったから。あの子に彼氏が出来て、彼氏の話はよく聞いたけど、あなたのお嫁さん以外の友達の話って、そこまで聞いた記憶がないのよ。あの子のプロデュースのお陰で彼氏が出来たとか、成績が上がったとか、毎日が楽しいとか。私も気になるから、紹介してって頼んだけど、なかなかタイミングが合わなくて会えなかったの。
そして、卒業してバイト辞めて疎遠になっていたんだけど、たまたま子供出来てから働き出したスーパーで再会して。あっちは子供いなかったから、時間あるならウチに遊びに来なよって誘ったら、その友達の話になって。なかなか良い出会いが無いって言ってたみたいだから、良い子だってのは高校の頃に聞いてたから、あなたを紹介したのよ。」
私はじっくり話を聞いていた。私は特に神妙になるような話でも無いなと思いながらも、彼女は思い出を吐き出していた。
「私も気になっていたから、どんな子なんだろうって期待してたんだけど、パッと見は普通の子だなぁって。
だけど…なんだろう…こんな事を言ったら失礼なのは分かってるんだけど…この子、危ないなって。」
私は、何を言っているのか分からなくて憤りを感じる前に、衝撃的な言葉に声が出なくなった。
「あの子と話してる時の友達のあの目、まるで教祖を崇拝している様な感じで…。ネットとかでよく宗教にハマっている人のインタビューとかたまに流れてくるんだけど、その人たちと同じ目をしてたの。直感だから、私だってそんな事思ったら失礼だなって思ったよ。だけど、あの子と一緒にいるあなたも、崇拝の目をしているの。友達の自殺とあの子が関係しているか、それは分からないし関係してないと思うけど、友達が結婚したって話してたときも、「この幸せも、あの子のお陰なんだ」なんて言っててさ。流石にちょっと怖いなっては思ったけど、本人は幸せそうだし宗教とかじゃないしさ…。」
「関係ないよ、関係ない。大丈夫、俺はこうして幸せだし、友達が亡くなってしまったのは他に何かあったのかも知れないじゃないか。ハハハ、アイツ周りの人を幸せにも出来るって本当自慢の嫁だよ。俺の仕事もアイツに助けられっぱなしだしさ。これからも、夫婦共々よろしくね!」
この警告を聞き入れれば良かったが、出来るわけがない。私は、もう奴隷になっていたのだから。

女王は、お気に入りの1人掛けソファに一糸纏わぬ姿で肢体を深く埋めていた。足は組まれ、肘掛けにスッと伸びた腕を預けて、揃えられた艶やかな前髪の下に微笑を浮かべていた。
我が家の経済を潤沢にした女王は、私には魔力的に妖しく愛おしく見えていた。自身の美しさを研ぎ澄ませ、地味だった蕾を開花させたように、結婚後麗しい姿になっていった。
取引先の相手から嫉妬をされることもあるほどだった。
家でその姿の女王を前に、私も全裸で跪いていた。女王の指示で私の欲はコントロールされていたが、それを当たり前に受け入れていた。
ただ友人の嫁の忠告は、忘れたわけではない。脳の片隅に沈んでいた。
「私をあなたの舌だけで隅々まで洗いなさい。悦ばせなさい。あなたを悦ばせるのを知っているのは、私だけなんだから。」
褒美という欲望を与えられることを求める奴隷になった。褒美が欲しかった。甘美を脳の髄まで味わいたいのだ。それを知ってしまっているのだから。

なぜ、そんな満足な生活の中で毒に気づき、私はこうして死んでいくのか。
女王を愛し過ぎてしまったのだ。そして、だから自殺した彼女も死んだのだ。

女王は、事故に巻き込まれ入院した。そのとき、私こそが彼女を守るべきなのに身代わりになれなかった非力をどんだけ嘆いただろう。私は、商談があり彼女とは別行動だったのだ。
外ではこの関係を内密にしていたが、私の欲望は彼女に預けていた為、お見舞いに行けば、少しばかりの甘い蜜を何とか味わえないかと思ったのだ。

私はその時見た。
彼女は、看護師に世話をされていた。看護師は、私を見るなり旦那さま、奥さまの点滴を交換しますねと、私の前であの麗しい白銀の腕に凶悪なほどの鈍く光る鋭い針を抜き差ししたのだ。
「あ…ああ…」
外だから私は奴隷が出来ない。私の仕事が…私の褒美が…。
女王と2人になった時、彼女は私に残酷な言葉を耳打ちした。
「あなたには出来ないわね。私は手術もされたし、下の世話もされた。あなた以外に私は世話された。」

「もう充分ね。」

ああ、そうかこれか。自分が必要とされてないと告げられた瞬間に、世界が壊れるのか。
俺と交際が始まったときに、「あなたには旦那もいるし私にもパートナーが出来た。もう、充分ね。」とでも言ったのだろう。
「あの子は危ない。」
女王一家は、人を惹きつけるための術を全て知っている。自分を必要とする人間を作り出す方法を知っている。
声のトーン、言葉のタイミング、その人の的確な悦ばせ方…。
そして、彼女たちは人で遊んでいる。
狼狽える俺を見て「ああ、やっぱりあなたもそうなっちゃうんだ。ごめんね、3人目。」と言ったのを聞き逃さなかった。
憤りが湧き起こるのに、責めることができなかった。あの香りがする。女王の肌の香り。
脳にこべりついて、嗅がなくても微笑みを見ただけで鼻の中で広がるのだ。
その様子を見た彼女は私に言った。
「私が危険だと忠告受けてたでしょう?そう忠告されるように、奴隷たちはいつもコントロールしてるの。でも、内通者たちは私に直接何も言えない。私を前にした人は、私を責めることが出来ない。内通者が責められないような、内通者の善意に問いかけるような見た目を作っているからね。だから、あなたの周りの人のことも全員把握してるのよ。私は、取引もスムーズにいってるでしょう?私が人間のプロフェッショナルだからよ。」

私はどうやって帰宅したか分からない。
玄関で膝から崩れ落ちると、靴棚に目が行った。
奉仕しないと。いつも通り、足を舐めないと。
女王の靴を舐めると、苦い味がした。手入れが行き届いているから、ワックスなどの味だろう。
無様なことは知っているのに、女王の本性を知ったのに、もう私は平民にすら戻れないのだ。
苦しみが逃れたくて、夜景の見えるタワマンの自宅のベランダの手すりに背中を押しつけると、美しい風景が真っ逆様に映った。

舌に残っているのは、あの苦々しい女の靴の味だ。

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