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引っ越したい。③ -なくて初めて困ったもの-

失って初めて、その大切さを知る」というのは、失恋ソングの定番フレーズ。ただ、今回の場合は恋人相手ではなく、日々を過ごす自宅の条件のお話。実家を含め、今までの部屋で必ずあったもの。それがなくなるだけで、自分がこんなにも住みづらさを感じるなんて、引っ越し願望を自覚するまで僕はまるで気づきもしていなかった。

眺望不良:窓の向こうにそびえる壁。

僕が現在借りているのは、2階建アパートの2階・真ん中の部屋。採光部は、部屋の突き当たりの大きな窓ガラスだ。ただ、その窓から見えるのは向かいの家の白い壁。ちなみにお向かいは3階建で、僕の借りているアパートの建物とほぼ同じ奥行きになっている。縦にも横にも、この窓から空を望むのはちょっと苦労する。

この部屋に初めて内見で入ったときも、そのことには気がついていた。日が昇るにつれ、白い壁に反射されて入ってくる日光。内見したのは8月だったので、いい具合にフローリングが照らされていたように思う。

以前も書いた通り、この部屋の室内の構造は満足していた。家具の配置は悩んだけれど、そこに苦しさはなく新生活への期待が大きかった。何より、早く実家から出ようとし、なおかつ実家との距離をそこそこ近くに持とうとしていた自分にとって、条件的には文句なしの部屋だった。

そして、自分は外勤務の営業。週5日は日中自宅にいない。眺望不良がなんだ、そもそも自分の条件的に気にはならないじゃないかと判断し、内見からそのままの勢いで契約を結んだ。

もしかしたら、割と早い段階からこの空を望めない部屋に苦しんでいたのかもしれない。引っ越してから、仕事のパフォーマンスもモチベーションも落ちる一方だった。室内の壁は白く、そして窓の向こうにもそびえるお向かいさんの真っ白な壁。まるで監獄のようだと思ったら最後、そのイメージは頭から離れなくなった。

それでも状況が違っていたら、そのことに気がつくのはもう少し先だったかもしれない。その発想に至ったのが、新型コロナウィルスの影響で在宅勤務をしていた初夏の頃。基本、自分の時間を自宅でほぼ過ごすようになってからだ。感染症に脅かされる社会と、四方を白い壁に囲まれた自室、閉塞的な状況がオーバーラップされるようで、外回りでの業務が再開されるまではなかなかにキツかった。

実家も、都内で初めて一人暮らしをした部屋も、地方勤務で借りた部屋も、窓から必ず空が見えた。空が晴れていれば心も晴れ、曇天や雨の休日は「家でゆっくりしよう」とすんなり心が決まった。今、同じことをしようとすると、身を乗り出さなければ外は望めない。窓から見えるのは、天井さえ見えない向かいの家の白い壁。しかも、今の状況では「外出すればいいか」と気軽に出掛けるわけにもいかない。

眺望良好。自分の中で今後絶対に外してはいけない条件を、僕は自ら手放すことで見つけることになった。

自分で選べる居場所だからこそ。

このほかにも、例えば追い焚き機能がないことを見逃していたとか、ちょうどコンビニや飲食店の谷間になるエリアでお店まで歩いてそこそこかかるとか(それによってUber Eatsや出前館を頼んでいたら、体重とエンゲル係数も右肩上がりしていったとか)、思っていた以上に駅徒歩時間に苦しみ、自転車生活に切り替えようとしたら駐輪場の定期申し込みが5年待ちだったとか、急いでいたからこそ見落としたものも多く、ひたすらに反省させられる部屋探しをしていた。

部屋への満足は理屈を組み上げることができたけれど、部屋への不満は生理的なものに根差していた。今まで当たり前のように得られていたものだったから、それが自分にとってなくてはならないものだなんて思いもしなかった。

自分を少しでも楽にしたくて行ったはずの引っ越しだったのに、自分は別のストレスに飛び込んだ。もちろん、満足し切れる条件に巡り合えるなんてことはそうそうなく、何かを求めれば何かが音を立てて崩れていく。

ただ、自分の住む場所は、転勤等ではなく自分で条件を設定できる一人暮らしの部屋探しは特に、譲れない条件は絶対に譲ってはいけない。いつまたどんな状況になるかわからない。だから尚更、自分で選べる居場所だからこそ。

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