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国指定史跡「高島秋帆旧宅」訪問(2020/11/8) @長崎市東小島町

 幕末の砲術家、高島秋帆の旧宅跡が長崎市東小島町にあるので行ってみました。

高島秋帆旧宅 (以下、長崎市のHPより引用)

秋帆の父、町年寄高島四郎兵衛茂紀(たかしましろうべえしげのり)が文化3年(1806)現在地に別邸を建て、雨声楼(うせいろう)・齢松軒(れいしょうけん)等と呼ばれた。
秋帆は父の没後町年寄を継ぎ、また長崎表御取締(ながさきおもておとりしまり)も命じられていた。天保9年(1838)の大火で、大村町(現在の万才町)の高島邸が類焼したので、以後この別邸が使われた。

秋帆は荻野(おぎの)流砲術を父に学び、オランダから銃砲を購入し、併せて西洋砲術を研究し、わが国兵制改革の急務を幕府に上申した。天保12年(1841)5月武州徳丸原(現在の東京都板橋区高島平))で洋式の訓練を実施し、幕府から褒賞を受けたが、天保13年無実の罪で捕えられ、12年後釈放された。国防に尽したが、慶応2年(1866)68才で没。雨声楼は原爆で大破し破却された。

長崎市HP「高島秋帆旧宅」
高い石垣がお屋敷があったことを伺わせます。
史跡 高島秋帆宅跡(逆光/泣)
立派な石段。
この辺りが雨声楼跡か。
石倉
ここで砲術の練習をしたのか。
中心部の窪みが砲痕か。

門下生として有名なのは幕臣の下曽根信敦、江川英龍など。

まずは下曽根信敦について。

 余談ですが、この下曽根信敦から高島流砲術を伝授されたのが、浦賀奉行所与力の中島三郎助。高島秋帆からみると孫弟子ということになりますね。戊辰戦争の際に榎本武揚率いる旧幕府軍に参加し、箱館戦争で息子二人と共に壮絶な戦死を遂げる人物です。
2019年8月に函館を旅行した際には中島三郎助父子最後の地碑を訪問しました。

中島三郎助父子最後の地碑

そして、江川英龍について。

 江川英龍、通称太郎左衛門。伊豆韮山の代官で、品川台場や韮山反射炉を築いた人物です。兵糧パンを焼いた人物として「パン祖」とも呼ばれています。韮山反射炉(英龍の子、英敏の時に完成)は日本で唯一稼働した反射炉として2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。

(高島秋帆の門下生の1人に佐賀藩武雄鍋島家家臣の平山醇左衛門もおり、また、詳細不明ながら丸岡藩の砲台を設計した砲術家の栗原源左衛門も門下生だと言われていて、高島流砲術の影響の大きさがいかに甚大であったかを感じます。)
 
 高島秋帆旧宅は長崎市内の崇福寺電停から徒歩5分位の行きやすい所にあるにもかかわらず、あまり整備されていない印象(2020年11月8日現在)。来期の大河ドラマ「青天を衝け」に高島秋帆が登場するそうなので、もう少し整備して説明板等が欲しい所です。

<追記>「青天を衝け」で玉木宏さん演じる高島秋帆、カッコよかったですね!


中島三郎助父子最後の地碑についてはこちら。

中島三郎助を描いた小説。名作です。興味ある方は是非読まれて下さい。

伊豆韮山反射炉についてはこちら。

江川英龍の邸宅も重要文化財として保存されています。行ってみたい。


*この記事は2020年11月9日のFacebookへの投稿を加筆・修正したものです。

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