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肥前有馬氏の足跡を追って②【丸岡藩砲台跡】(2022/5/1訪問)

「肥前有馬氏の足跡を追って①」2022年GWの北陸の旅の続きです。
雨の中を、丸岡藩有馬氏が幕末に沿岸警備のために造った砲台跡に行ってみました。

*肥前有馬氏の足跡を追って①【丸岡城】編は以下です。


日本海に面した、東尋坊の近くにある国指定史跡の砲台跡。1852年(嘉永5年)、丸岡藩第7代藩主の有馬温純(はるすみ)の代に、藩の砲術家で高島秋帆の門下生である栗原源左衛門によって造られました。ペリー来航の前年のことでした。





有馬氏は願い出て譜代大名格として幕府の要職を勤めていましたが、第8代藩主の有馬道純(みちずみ)も老中などの幕府の要職を歴任する傍ら、自ら砲術家の江川太郎左衛門に入門し、藩士も砲術修行に励みました。

しかしながら、戊辰戦争の際にはいち早く新政府軍に恭順しています。



果てしなく水平線の拡がる日本海。当時の人々の異国船への脅威はいかに強いものがあったか!
そして、祖先である有馬晴信が眺めたであろう温かな九州の海とはまた違う、灰色の冷たく荒い、白波の立つ日本海を見ながら、はるばるここまで来た有馬氏を思い、暫し感慨に浸ってきました。

ちなみに、肥前有馬氏の貿易港として栄えた島原半島南端の口之津港はこの様な感じです。この日は晴れだったこともありますが、温暖な気候で美しいマリンブルーの海です・・。


●坂井市三国町にある丸岡藩砲台跡ですが、東尋坊の少し先にあり、大きな看板など出ておらずわかりにくい場所でした。福井県の文化財のページを貼りますので、ご参照ください。車で行かれるほうがよいと思います。


*この記事は2022年5月22日のFacebookへの投稿に加筆、修正したものです。

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