ところで、人間の欲望は何のためにあるのだろうか。

欲望の由来と創造目的

ところで、人間の欲望は何のためにあるのだろうか。

それはすでに述べたように、創造目的を実現するためにあるのである。

神の創造目的とは、神においては、対象(人間と万物)から喜びを得るということである。

しかし被造物の立場から見れば、その創造目的は被造目的のことである。

特に人間は、神に美を返し、神を喜ばせるということにその目的があるので、人間の創造された目的すなわち人間の被造目的は、人間が、生育し、繁殖し、万物を主管するという三大祝福を成就することによって達成される。

したがって人間の創造目的(被造目的)とは、とりもなおさず三大祝福を完成するということを意味するのである。

神が人間を創造されたとき、人間に目的だけを与えて欲望を与えなければ、人間は、せいぜい、ただ「創造目的がある」、「三大祝福がある」ということが分かるだけで、実践の当為性を感じることはできなかったはずである。

だから神は、人間にその目的を実現していくための衝動的な意欲——やってみたい、得てみたいという心の衝動性——を与えなければならなかった。

その衝動性が欲望である。したがって人間は、生まれながらに創造目的(被造目的)、すなわち三大祝福を達成しようとする内的な衝動を感じながら、成長していくのである。

そしてこのような欲望の基盤になっているのが心情である。

人間は、全体目的と個体目的の二重目的をもつ連体である。

したがって創造目的の実現は、全体目的と個体目的を実現することである。

人間の全体目的とは、真の愛を実現すること、すなわち家庭、社会、民族、国家、世界、そして究極的には人類の父母である神に奉仕することであり、人類と神を喜ばせようとすることである。

そして個体目的とは、個体が自己の成長のために生き、自己の喜びを求めようとすることである。

人間のみならず、万物もすべて、全体のための目的と個体のための目的という二重目的をもっている。

それが創造目的の二重性、すなわち被造目的の二重性である。

万物と人間では創造目的の達成の仕方が異なっている。

無機物は法則に従って、植物は自律性(生命)に従って、動物は本能に従って、それぞれの創造目的を達成する。

しかし人間の場合は、神から与えられた欲望に従って、自由意志をもって自らの責任で創造目的を達成するのである。

すでに述べたように、欲望とは与えられた目的を達成しようとする心の衝動のことである。