ルーシィ・リヴィングストンの日常⑤

承前

「ん〜〜〜、25点!」

女の子の手作りケーキを3口で平らげ最初に発する言葉がそれか。

つっこみたいがどうせやぶ蛇になるからやめる。続く言葉……というよりダメ出しは、だいたいミィメルさんの言うところと一致していたからだ。グゥの音も出ない。
死んだ目で聞き流す。わたしの習い事はつまり、この男をいつか自分の作品で黙らせてやろうというのを目的にしてのものなのだが……道のりは遠い。

ノートン・アーミル。その筋では悪名高い(らしい)、モナーブルグの裏社会で暗躍する闇金融の元締めだ。現場主義の彼は、今日も強面の部下2名を伴ってこの教会まで集金に訪れたという訳だ。債務者たるこのわたし──正確には、わたしの父の残した借金の。

「チョコレートと生クリームの配分なんやねんこれ。オーソドックスなショートで行くんなら行く、チョコならチョコで勝負!ど素人が何を奇をてらったかしらんが。」

どこの方言かわからない、怪しさ満点の訛り口調で気持ちよさそうに講釈を垂れる。まぁ、こういうものだ。作り手がどれだけ作品に思いを込めようと、必ずしも相手に伝わるものとは限らない。

つまり、普段それこそ設定レベルであい争う関係の二人であろうとも、ひと時ばかりはその宿命を乗り超えて停戦しても良いではないかというネタを込める為に必要なデコレーションであり……などというネタの解説はしない。情けないからだ。ネタというのは伝わらなければそもそも作り手側の負けなのであって……

「つまりぃ……チョコレートムースが黒のマフラー、二つに切ったイチゴが赤のリボンを模しているのであってぇ……」

「ぶつくさと往生際の悪いやっちゃなぁ。滑ったネタの解説ほどお寒いモンはないわ。」

この男には本当に人の心というものがない。

忘れもしない、この男が白百合の庭に突然現れたあの日。わたしが恐れたのは、優しい叔父さん夫婦がわたしのために何もかもを投げ打つ将来──完璧で幸せなあの家族が、わたしという異物のために不幸になるという、ほぼ確信に近い未来予想だった。ほとんど恐慌したわたしは矢も盾もたまらずあの家を飛び出し、城壁を越え森を抜けこの教会へ……。

「で?仕事は?見つかったんか?」

わたしは表情を殺し貝になる。嫌な事を思い出させる男だ。それは、「絶対!確実!席がないなら作るのみ!自慢の企画で雇用枠の一つや二つ、かるーくこじ開けてきますよ!!」などと大言壮語を吐きまくったわたしも悪いといえば悪い。完全にどうかしていた。とは言え……

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜。」

なんだそのクソデカ溜息は。わたしは悪くない。ベストを尽くした。悪いのは世の中だ。具体的に言えばあの女装メイドが全部悪い。あの本職冒険者め、冒険をしろ。

「まぁはなから期待なんてせぇへんわ。こっちは貸したもん返ってくればそれでええし?あのエセ神父がどんだけ痩せ細ろーが知ったこっちゃない。」

カチンときた。
確かに彼女は痩せている。わたしよりわたしの借金の事を気に病んで、返済の為に身を粉にして働いているのは、その理由の一つには違いない。だからと言っていやだからこそ、余りにもデリカシーが無さすぎないか。
貝も湯立てば口を開くものだ。わたしは反撃する事にした。

「貸したもん?返す?なんの話でしょう。」

カチリ。
わたしは教壇の裏に回り、隠してあった錬金術製音響機械、『ラジカセ』の再生スイッチをONにする。

『ルーシィ・リヴィングストンはモナーブルグ聖教会付属修道院の修道女として信仰の道に生きる事を誓いました。』

ここには居ない女性の声が狭い聖堂に滔々と響き渡り、ノートンさんの眉根が寄り始める。効果覿面だ。

『世俗の権利義務関係から解き放たれた彼女の身分はリゾーマタ・エレメント聖下、直接的にはモナヴェントラ司教猊下の庇護化に置かれる事となり、これを侵すことはーー』

建前に過ぎなかったとしても、裏社会に通じあらゆる争い事に長けているであろうこの男を実際こうして黙らせるのだから、教会組織という物がどれほど恐ろしい力を持っているのか、町娘Aのわたしにも伺い知れようものだ。

以上のような方便で、わたしは一時的にこの男の魔の手から逃れることが出来ている。この教会に身元を置く限り、本来であればノートンさんはわたしに返済を要求することすらできない。とはいえ、わたしも本気で信仰の道を志したわけではなく、いつかこの教会を出る時になって待ってましたとばかりに身柄を売り飛ばされたりしないよう、ある程度穏当な手段で返済を進めているというわけだ。

わたし個人としては今の生活に何の不満もなく、この教会がこうしてずっとあり続けるのであれば無理して自由になろうとも思わない。だが、現実はそうもいかないようで……

「いかがでした?神父さんのありがたぁいお説教。心が洗われるようでしょう?」

無性に気が立っていたわたしは、勝ち誇った顔でノートンさんの渋面を更に煽りにかかった。しかし、いささかやり過ぎたようだ。

「くっっっそ生意気な……デカイのは叩く口だけかァ?そないに言うなら自慢の企画っちゅーのを見してもらおうやんけ!」

やだ。絶対ばかにするもん。

三分間の格闘の末、企画書の入ったわたしの手提げはあえなく彼の手に渡ることとなった。何が債権者としての経営健全化への責任だ。一部始終はラジカセに録音してやった。いつか出るとこ出てやる。

しかめっ面で企画書に視線を巡らすノートンさんを正面に、わたしは気が気ではなかった。どうせボロクソにこき下ろされるんだ。そもそも昨日までのわたしはなぜあんなに自信があったのだろう。顔から火が出そうだ。それでこんな紙くずもろとも目の前の男を燃やし尽くしてしまえればいいのに……。

ところが、彼の時折漏らす含み笑いに、不思議と揶揄のニュアンスは感じ取れない。

「特撮ヒーロー、いやこれはヒロインか?なるほど、ガキの時分にはよう見とったわ。懐かしいな。」

意外ではあったが、「似合わねー」と茶化す気には不思議とならなかった。

「最近、あのー……なんちゅーたか、お前んとこの劇団。上手くいってへんようやな。古臭い、勧善懲悪のヒーロー物語なんか、今時マンガでもよう流行らんやろ。」

「流行る流行らないんじゃなくて、わたしたちが流行らせるんです。」

まるで独り言のようなノートンさんの呟きに、わたしはムッとして返す。確かに、上手くいってはいない。客の入りもまばらだし、ライダーさんのモチベーションもダダ下がりしている。だからこそなんとかテコ入れをしようと……

「うん。ええな。その意気や良し!」

企画書から上げたノートンさんの目は笑っていた。嘲笑ではない。

「発想もなかなかや。あの酒場も常連とメイド見たさの物好き以外には閑古鳥やろ。直談判に行く行動力も評価できる。シナリオやら演出やらまで一人でやる事あらへん。プロに頼るなりどっかから引っ張ってくるなりやりようは色々ある。」

「……絶対ばかにされると思ったのに。」

「ワイは昔なぁ、正義のヒーローになりたかったんやで。」

ばかにしてやろうと持ち上げた口角から力が抜ける。その発言に、どれ程の感情が──感傷が込められているのか、図りかねたからだ。

彼の生業……「金融業」は、2代目のものだそうだ。敬愛する「オジキ」の跡を継いでのものであり、その取り立てが極めて困難になっても尚、わたしの父の借金に執着し続けているのは、受け継いだ仕事と組織を守る為なのだと、いつかわたしに語った事があった。
血の繋がりがあったのかどうか定かではない。ただ彼がオジキと呼ぶ人物への敬意は恐らく本物であり、――いつ、彼が自分の家の生業とその実態を知ったのかも、わたしにはもちろん知る由もない。

人にお金を貸し、利子を取りそれを取り立てる。その善悪を問う見識など持ち合わせていないわたしであっても、到底、綺麗事で済むような世界で無いことは身をもって知っている。「正義の味方」に憧れていた少年に、その硬質な現実はいかなる影を落としただろう。

「なんや。笑わんのかい。」

拍子抜けや、とわたしの淹れた茶をすする。

「しかし、流行り廃りやない、か。同感や。ガキにはな、いつだってああいう子供騙しが必要なんや。」

たとえ、いつかどこかで正義の味方などこの世のどこにも居ないと知り、その夢をどこかで捨てる事になったとしても。

「ああいうのに憧れた気持ちは、どれだけ薄汚れても消えへん。クソッタレな現実を知れば知るほど、子供騙しの良さがようわかる。」

優しいウソ、ちゃちなペテンは、尚も輝きそこにある。

「ま、本気でやるんやったらな、一度や二度突っぱねられたくらいで音ぇあげたらあかんで。二の矢、三の矢や。それと、もっと周りを巻き込んでやれ。一人でやってもつまらん。」

浮き沈み、右往左往する感情の納めどころがわからず、力無いへにゃへにゃとした表情を浮かべるわたしに、構わず企画書を押し付けるノートンさん。受け取ると、どういうことか紙束の厚みがやや増している。

「あのエセクソ不良神父のアホはまーだ留守か。せっかく手頃な錬金術の依頼が入っとったのに。ま、お前の分だけでも置いとくわ。請けるか請けんか、また明日までに考えとき。」

見れば、それは酒場でよく見る依頼の仲介書だ。モナーブルグ市民からの、錬金術師や冒険者らに向けた物資調達や労務提供の依頼を対価とともに提示するもので、正規の仲介を受けるには市役所への登録が必要になる。よって本来であれば、モグリの錬金術師である当教会の神父さんや、町娘Aのわたしに酒場の依頼を請けるすべはない。
どこでどういう手を回しているのか定かではないが、ノートンさんはそんなわたし達に、たまにこうして依頼の仲介の仲介をしてくれるのだった。

見れば「家事手伝い」、「子守」、「ゴミ屋敷の片付け」など、どれもわたしにうってつけの内容だ。

「ゴミ屋敷、見てきたけどな、お前なら半日も掛からん。掘り出しモンは持ち帰ってええそうやから、自慢の聞き耳もよう使っとき。
子守は繁忙期のニラ茶園で、摘み取りの手伝いでもして追加報酬、余裕やろ。」

相当量の仲介手数料をわたしの借金返済として差し引いてもなお、ノートンさんから回される依頼の報酬は、この教会にとって貴重な収入源となっている。そしてお陰で、わたしの借金もそこそこ順調に減り続けているのだった。わたしは少し迷った後、素直に感謝の言葉を述べる事にする。

「ありがとうございます。」

「ハッ。正義の味方がおらんとな、悪の首領もやりにくぅてしゃあない。」

ひとりごちながら教会の外へ。タバコでも吸いに行くのだろう。最近になってわたしの出した「教会内禁煙」のおふれを、律儀に守る彼である。

彼はもしかしたらわたし以外の、にっちもさっちもいかない超過債務者に対しても、こうして地道に依頼を紹介しているんじゃないだろうか。
もちろん、綺麗事だけで済む世界ではない。正義も悪も倒すべきラスボスも持たない灰色の現実の中、わたしたちはできることをするほかはなく、彼とてその例外ではない。ただ……

正義の味方に憧れながら、どこかぎこちなく悪の首領の皮を被る彼の目に、あの日の神父さんはどう映った事だろう。盛大に殴り飛ばされながら、その堂に入った悪役ぶりがやけにイキイキとして見えたのは、多分わたしの気のせいではない。

パチン、パチンと、彼の舎弟がオセロを打つ音だけが響く聖堂を後に、わたしはキッチンへ向かう。
さぁ、お茶の時間だ。

***

次話


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