ルーシィ・リヴィングストンの日常⑦

承前

「神様を信じてるかって?わたしが?ははは信じてるわけないじゃないですかぁ、そんなの。」

何とは無しに口にしたわたしの素朴な疑問に対し、はははと力なく笑いながらめちゃくちゃなことを言うのは、この教会の神父さん、その人である。

なんつー人だと呆れると同時に、なんとなくそんな答えが返ってくることを予想してもいた。寄付金が集まることなんてまるで望めない、壁の外に位置する教会の運営資金と二人分の生活費のために、「実益を兼ねた趣味」と強弁しつつ錬金術(教会から異端と名指しされていた時代もあったと聞く)を用いて日銭を稼ぐ不良神父が彼女である。広場での「出張説教」は主婦層を中心にそこそこの支持を集めており、中でも錬金術製万能洗剤の売れ行きが好調だという。なんつー人だ。

しかし、続く言葉はさらに反応に困るものだった。

「神様はねぇ居るんですよー。そういう風に出来てるんです。わたしはただそれを知ってるんです。それは信じているのとは違うでしょー?」

狂信的だか冒涜的だか判断しかねる。口調は当然の事実を口にするようでいて、込められた感情を推し量る余地の無い淡々としたものだ。そうして、わたしはまた神父さんという人物を掴み損ねる。

神父さんは、本当によくわからない人だ。

先に彼女と述べたが、まずうちの神父さんは女性である。

彼女自身がそう名乗っており、それらしい格好をしてそのように振る舞っている以上、特に不都合が生じることはない。
中性的、という形容が彼女らにとって相応しいものであるのかどうかはわからない。何故なら彼女が生まれついての「人種的特徴」として、男女間に於ける外見的差異に乏しいというのがあるからだ。

人種のサラダボウル・シィグザール王国の玄関口にして交易の要衝モナーブルグである。耳の形や肌の色の差異などは可愛いもの。身長がわたしのひざ下に及ばないナイスミドルと常人の3倍の背丈を誇るティーンエイジャーが同時に街道を行き来し、背中に羽の生えた郵便配達のおねえさんが空を飛びまわるのがこの街の日常だ。一見して男だか女だかよく分からんというのは、実は大した特徴の内にも入らないのだった。

例えばわたしは毛深い。常人の3倍は毛深い。全身毛だらけだ。もう少し他に言い方があるのかも知れないが、自分の事なので別に言葉を選ぶ必要もないと思う。夏場や長雨の季節は本当に憂鬱だ。先ほど街でお会いしたジルティアさんやわたしの所属する劇団のメンバー・レクティアおばあちゃんのように、頭髪だけ豊かで他はツルツルという人種の人々には本当に憧れる。神父さんなんかは、「魅惑のもふもふ」「埋もれたい」等々、わたしにはよくわからない語彙を用いてわたしの毛並みをたいそう褒めてくれるのだが、あの人はなんだって褒めるのだ。そういう人だ。

……脱線した。神父さんの話だ。

とにかく、黙って神父として振る舞う以上は神父さんは外見上至極まっとうな(少し頼りなく、不良っぽいが)神父にしか見えず、実性別がなんであれそれで誰も困る事がない。
なぜそんなめちゃくちゃなことが偉い人とかに怒られもせず、今日までまかり通っているのかは不明だ。

もう一つの疑問は、そうまでしてこのボロボロの、黙っていれば人っ子一人近づくこともない、お化け屋敷のような教会の神父さんを、彼女が続けている理由についてだ。

わたしがこの教会に転がり込んだ当初、彼女はひどく困窮し、パンのカビていないところを探して齧るような生活をしていた。今も必死の内職によって明日にも朽ち倒れそうな建物の修繕費用を捻出している。その上で、中央の教会から任されているというお仕事までこなしているというのだから、本当に正気の沙汰とは思えない。

教会に人がやってくればニコニコ笑って応接し、生活の糧の出張説教はもちろん欠かすことはなく、地下の工房に篭っては錬金術で怪しげなモノを楽しそうに生み出し、それ以外の時間は自分の部屋の机に噛り付いて延々と呻吟している。時には随分と夜遅くまで書き物をしているようだ。締め切りなどがあるのだろう。

机で書き物をしている時の神父さんのテンションは、教会で神父さんとして振舞ったり、地下の工房で作業している時のものとは雲泥の差がある。つまり気をぬくと机の上でドロドロに溶けかかってしまうので、気分転換がてらにお茶を淹れ、話し相手になるのがわたしの大切な仕事だった。

一度、神父さんに何を書いているのか聞いてみたことがある。彼女は「神様のねぇ、ことを勉強しているんですよぉ」と、泥のように机に覆いかぶさりながら言っていた。見せても貰ったが、難しすぎてなんのことやらわからない。「神学」という学問があるらしいが、その研究か何かだろうか。

結局のところ、わたしは神父さんという人物のことを何一つ知らない。

冒頭のわたしの疑問は確か、そんな会話の流れの中でこぼれ出たものだったと思う。すっかり液状化してしまっていた神父さんの背中に向かって、その質問は小さな驚きとともにごく自然にわたしの口をついて出た。この不良神父が言うに事欠いて「神様のお勉強」……?
わたしの言葉に少しだけ表面張力を取り戻した彼女は、ぐにゃりと首を巡らしてわたしの方を振り返る。

「ルーシィーさんは、神様なんて信じていませんもんねぇ。」

わたしと彼女の出会いの日。某借金取りに追い詰められたわたしは、身を呈してわたしをかばい匿ってくれた「教会の神父さん」を目の前にしてそのような事を口走った。それこそ神をも恐れぬ失礼に違いないのだが、今となっても特に信仰心の類が芽生えることはない。なにせ当の神父本人がこの調子である。

とはいえ、この教会と神父さんに引き合わせてくれたのが「神様の思し召し」というやつならば、その神というのはたいそう話のわかるヤツには違いなく、今では感謝の気持ちの一つくらいお伝えするのもやぶさかではないものと思っている。我ながら現金なものだ。

「……もしも、もしもですよ?もしこの世の全てをなんでも思い通りにできる神様がいたとして、あなた自身の運命……行動や、心の中で考えている事の一つ一つでさえも、その神様に決められてしまっていたとしたら、どうしますか?」

どうやら今日はお仕事を投げることに決めたらしい。彼女は椅子ごとぐるりとわたしの方に向き直り、怪談でも披露するような調子で言う。

わたしは少し黙り、自分の内心を整理してみることにした。
その時のわたしは神父さんとの会話を右から左に適当に流しつつ冷蔵室の中にある保存食と野菜の在庫、消費期限から向こう一週間の献立を算出し、明日の買い出しの内容を検めながら街をめぐるコースを脳内地図に書き出し、BAR.タカラの第23次バイト採用面接の開始時間と傾向と対策を反芻、かの憎っくき女装メイドを必ず下すべしという決意を新たにするとともに、明日も天気が良ければ懸案だった教会の窓掃除をしようなどとと考えていた。蜘蛛の巣がずっと気になっていたのだった。わたしは――

「恐ろしく暇人ですね……」

思わず畏怖を込めて呟く。ちょっとマジで怖かった。自分の散漫過ぎる思考もどうかとは思うが、そんなもんをご丁寧に一言一句外から規定している何者かがこの世のどこかにいるとしたら、それは、なんというか……いったいなんの罰を受けているのだろうとしか思えない。むしろ気の毒だった。
神妙なわたしのつぶやきに対して、神父さんは我が意を得たりといった様子で、けたけたと楽しそうに笑う。

「暇人!でしょうねぇ〜。怖ーい話ですよ。と言っても、怖さの質が普通の人とは違うみたいですねぇ、ルーシィーさんは。」

普通。何となく、何を言わんとしているかはわかる。自分は運命の操り人形であり、自由意志に意味など無く、世界は五分前に創造され……眠れない夜に誰もは一度が考えるような、無力感を伴った他愛の無い妄想。

「例えそれが事実であったとして、大した問題でも無いと思える程度には、あなたには自己への確信があるってことです。我思うゆえに我あり……。」

わたしは家事に自信があり、教会の少ない収入で二人分の家計をやり繰りする必要に迫られており、自身の収入の為にこの不況の中アルバイトの枠を何とか勝ちとろうとしている求職者であり、オシャレに悩む17歳だ。そんな事は、わたしだけじゃ無くて、神父さんも知っている。街に出れば、もっと多くの人たちが知っている。
だからわたしの考えることなんてさっきのようなこと以外に無く、それを保証するのはわたし一人じゃない。だから、もし誰かがわたしの思考を好きなように……「執筆」しているとしても、「わたしの枠」を外れる事なんて出来っこないと思うのだ。
彼女のいう自己への確信とは、そのような意味だろうか。

「創作の世界においてよく聞く話ですけどね、キャラが勝手に動き出す。聞いたことありません?被造物は、必ずしも造物主の意のままになるものとは限らない。」

立ち上がって伸びをする。パキパキと背骨の鳴る音、うめき声。わたしの淹れた紅茶で口を湿らせ、神父さんは続ける。

「書いてるうちに、積み重ねと繋がりが生じてしまうからですよ。過去、このキャラはどういう行動をとったのか。別の登場人物との間にどんなやりとりがあったのか。キャラクター……『人格』は、ただ描写によってのみ規定されます。作者の内々の予定や計画なんてなんの意味も持ちません。書き進めるごとに制約は増え、可能性は分岐していく。気がつけば、自由気ままに好きなように動かそうとしていた人物が思いもよらぬ姿に化けていると言った寸法です。」

まるで歌うように楽しげに。その様子から、彼女が錬金術の話をしているのだとわたしは知る。

「縦の積み重ね、横の繋がり。描写によって生まれた因果を無視した造物主による恣意的な改変は、その違和感や独り善がりな印象が邪魔をして……何と言えばいいものやら……『世界と繋がる』、ことが出来ないのですね。上手くやれなかった造物主は、世界から支持を失い零落し、何とも繋がることのできぬまま虚しくこの世を去る定め、と。」

もし誰かがわたしのことを好きに動かそうとしたところで、わたしの過去は消えはしない。BAR.タカラのメイド枠を奪い取ろうとしたことも、お菓子作りの大会に負けたことも、オシャレを教わりにアトリエGに駆け込んだことも、夕陽に染まる用水路で、ずぶ濡れになりながら小さな指輪を探した思い出も、この街から消し去る事などできない。
例えばわたしに、目の前の神父さんを心から嫌い憎ませる事なんて……不可能とまでは言わないまでも、相当な困難を極める事だろう。

「もしこの世界が誰かの……神様の、創作であったとして。あなたが誰でどんな人格を有し、何を考えどう行動するか。それは例え万能の力を以ってしても決して自由にはできない。この街との、世界との、人々との繋がりが、他のなにより強くあなたを規定する。」

この教会に来る前のわたしはどうだったろう。叔父さん家族とのギクシャクした関係をどうすることもできず、降って湧いたような親の借金に追い立てられて否応無しに家を飛び出し……まるでなにかの操り人形だ。当時のわたしが先ほどの命題を聞いたなら、無力感に打ちひしがれていたかもしれない。
つまり、わたしは、

「ルーシィーさんは、強くなられたって事です。あなたの意思は、行動は、万能の神のそれにも勝る。だから、」

柔らかく微笑みながら、一度目を伏せ、まっすぐにわたしのことを見つめる。

「……だから、大丈夫ですよ。例えこの先、どんな無粋な神様が、理不尽で困難な運命をあなたに押し付けようとしたとしても。あなたが意志し、行動するならば、それがただの悲劇に終わることはありません。」

わたしは目をそらす。

「だから、大丈夫です。例えその時、わたしが……この、教会が……――

***

しゅんしゅんとヤカンが鳴く。どうやら、お湯が沸いた。

とびきり美味しいお茶を淹れよう。ステキな茶器に相応しいくらい。いつもは節約する茶葉も、今日はたっぷり使ってしまおう。ちょうどいつもの二人分くらい。

あの人が留守にしていて、良いこともあるものだ。少なくとも今日ばかりは、最近妙に増えてきた例の退屈な話題を繰り返すことがない。

***

次話

#しぃのアトリエ #AA長編 #小説

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