ルーシィ・リヴィングストンの日常③

承前

モナーブルグの商業地区を東西に貫く通称「職人通り」を東へ。ニラ茶葉を店頭で値切る主婦の後ろを剣を佩いた隻眼の戦士が通り過ぎて、隣の鍛冶屋のドアを叩く。若いカップルがガラス工房の商品ディスプレイを覗きながら囁きあい、ボロ布で顔を隠した三人組が衣摺れも微かに薄暗い路地へと消える。街灯に手綱を繋がれた鞍を背負ったトカゲが主人の戻りを待ちかねてあくびをすると、そのまどろみを破るように、大きな犬の頭を持った馬が満載の荷車を引いて砂埃と騒音を巻き上げていく。

わたしは街に用事があるとき、多少遠回りになってもこの道を通る事にしている。町外れには無い人の息吹と喧騒を、呼吸するように歩速をゆるめる。あのあまりにも閑静な教会に住むようになってからだろうか、わたしは世界が、こんなにも鮮やかな「音」に満ち溢れている事に初めて気付くことができた。耳をすますと、ひときわ賑やかな一角……。

広く明るい十字路に、青の瓶と白い羽根を組み合わせたシンプルなデザインの看板。通りに面した3つの窓の向こうには目を惹く大きな縫いぐるみと、色とりどりの商品が綺麗に並べられている。しかし、その可愛らしい店構えも魅惑の品々も、店先に立つ一人の人物の華やかさを前には引き立て役に落ち着くようだった。

ジルティア・ウィルフェザー。モナーブルグ商業地区に点在する錬金術工房の中で最大の規模を誇る「アトリエG」の店主にして、名物錬金術師その人だ。店頭で新製品のプロモーションだろうか、その良く通る明るい声と洗練された装いに、道行く人々も思わず足を止めてしまう。

右に左に愛嬌を振りまくたびに快活に踊る豊かな髪の上、なんか……ハトとか飛び出してきそうなつばの広い大きな帽子がステキだ。黒くて後ろだけ丈が長くてボタンの多いスマートな上着に、こう……ピラピラしたかっこいい白いシャツ、胸元にはリボンみたいなのがついていて……とにかくオシャレだ。

誤解を招きたくはないので強調するが、ジルティアさんはオシャレだ。スタイルも良く、どんな服でも着こなすし、今だってまるで本の中から飛び出して来たかのようにサマになっている。もし、前述の描写でそれが伝わりきっていないとしたら、それはわたしがそのオシャレさを表現する語彙とセンスを欠いているからに他ならない。

わたしには、オシャレというものがわからない。今着ている服も、昔叔父さんに選んで買ってもらった物を繕い繕い着続けている一張羅で、自分で服を選んだという経験すらない。しかし、それが如何に年頃の女子としてまずいことなのかという自覚くらいはある。

過去に一度、わたしはオシャレについてひどく思い詰め、ジルティアさんに教えを乞おうとアトリエGに駆け込んだことがあった。突然の不躾な訪問に嫌な顔一つせず、ジルティアさんは自分の不甲斐なさに涙するわたしを諭し慰めるように言葉を紡いでくれたのだ。曰く、オシャレとは自分らしさであると。

――あー……、ごめんねルーシィーちゃん。リスちゃん可愛いよね。でもね、全身着ぐるみはちょっとなぁ。オシャレとはちょっとなぁ。

あの日のインストラクションが、ひとつひとつ、わたしの胸に去来する。

――えーとね、個性的なのはいいと思うの。でもちょっとそのマスク、トガり過ぎてない?知ってる?それペスト医師のマスクって言って……

そも、オシャレとは一朝一夕に磨かれるものでも生まれ持っての才能によるものでもない。自分を磨き、より良い自分を他人に魅せる為の日々の努力、積み重ねによって確立される「自分らしさ」の結実に他ならない。

――ごめんね!適当なこと言ってごめんね!お願いだから私の言ったこと全部忘れて!ダメ!それでお外出ちゃダメ!捕まる捕まる!

それを思い知ったわたしは、無駄な背伸びをすることをやめた。わたしにはわたしの積み重ねがあり、それは他の女性たちのように着飾るものとは別であると言うだけのこと。そして、そのうえでこれから焦らず一から積み上げてゆけばいいのだと……

――ドク!フュシャ!レクさん!誰でもいいから助けて!ごめんて!ほんとわたしが悪かったからーーー!!

あの日から、ジルティアさんはわたしの憧れの人であり、かつ恩人になったのだった。

一区切りついたのか、彼女を取り巻いていた人の壁がほどけて左右に流れ、一部はアトリエG店内へと吸い込まれていく。わたしはジルティアさんに一言挨拶をしようと人の流れの切れ目から顔を出して手を振った。それに気がついたのか、ジルティアさんは可愛いテーブルクロスの上で商品を整理する手を休め、いつも通りの自信に満ちた笑顔で大きなシルクハット(と言うらしい。後で調べた)のつばに指を当てながら視線をわたしの方へと持ち上げて、

瞬間、笑顔が凍りついた。

はて?とわたしが思うやいなや、白く細い指が一閃、天を衝く。高く宙を舞うシルクハットを思わず私が見やるうち、どこから取り出したものかジルティアさんがその全身を黒いタイトなローブで包みこむ。同じくどこから取り出したのかつば広の三角帽子に美しい頭髪のほとんどを詰め込むと、落ちて来たシルクハットのつばを投げ上げた二本の指でふわりと摘んで丸テーブルの上に置く。


目を白黒させるわたしの前には、いつの間にかいかにも魔法使いのような――錬金術師然とした姿のジルティアさんが立っていた。普段最もよくわたしが目にする彼女の仕事着である。

「あー、肩凝ったわぁ!慣れない格好して肩凝ったわぁ!」

首を鳴らし肩を回ししながら大声でひとりごちた後、

「……あっ、ルーシィーちゃんじゃーん!なになに?今日はお買い物?」

初めてわたしに気が付いたかのように笑いかける。さっきバッチリ目が合ったような。
わたしの顔に浮かぶ困惑をかき消さんとするかの様に、フレンドリーな笑顔と言葉の畳み掛けが続く。

「いっつも通りかわいいわねー!ほんっっっといつも通りでー!……あ、さっきの格好?いやードクのやつがさぁ、着ろ着ろってうっさいのよ宣伝の為にしかたなくね!あー!やっぱりいつもの服が落ち着くわ!うん!」

ここまでわたしに発言の機会は与えられていない。ちなみに彼女の言う「ドク」とは、アトリエGを共同で経営するもう一人の錬金術師・ドクウォルさんの事だろう。とてもジルティアさんに服装の指図ができるような男性には見えないのだが。

「だいたいねぇ、AA被り顔被りが当たり前のこんな大所帯スレでコロコロ格好変えるとか傍迷惑にもほどがあるっての!服装や頭飾りが唯一の外見的アイデンティティだってコも珍しくないってのにさぁ!キャラ潰しか新参潰しかっ!1キャラ1服!普段着が一番!」

錬金術師の人は、たまにこのようなよくわからない物言いをする。わたしなんかには半分も理解できないが、えらい錬金術師のジルティアさんが言うならそういうものなのだろう。

「ルーシィーちゃんはいつ見ても似合うよねぇーそのおよふく!ほんっとかわいい!他の人じゃそうはいかない!それが一番のオシャレってやつよ!うん!!」

最近のわたしは、人の言葉を額面通りに受け取ることにしている。内心を言動から勝手に推し量ろうとする余り、ギクシャクしたり変に距離を取ってしまったりするのがわたしの悪い癖だったからだ。褒められて悪い気はしない。笑顔の上に薄っすら浮いているのは冷や汗のようにも見えるが、この暖かいのに上から一枚重ねればそれは汗ばみもするだろう。しかしジルティアさんに限ってオシャレで肩が凝るとは……おっぱいが大きいからでは?

わたしがお礼の言葉を述べるとようやく一息つく気になったのか、手元のティーカップから紅茶らしき液体をぐいっと飲み干す。そこでようやくわたしは、彼女の前に並べられていたものが白い陶製のティーセットであることをみとめた。

綺麗なピュアホワイトの地肌を上品に彩る紅白のバラと金の縁。ポットの取っ手は流れるようなイバラをかたどり、蓋の頂きの持ち手のモチーフは帽子だろうか。目を凝らせば描かれた花模様の中に「うさぎ」や「時計」の柄が浮かび上がり、ソーサーの上にことりと置かれた背の低いカップは流麗なるモントローズシェイプ。

予感はあった。ひと区画前から、厚い人混みの向こうから、街の喧騒を貫いて、わたしは「彼ら」の呼び声を聴いていたのだから。一瞬で目を、心を奪われる。
ここまで近づけば、耳をすます必要もない

ああ、なんて賑やかなんだろう。

「気に入った?」

声に出してしまっていただろうか。三角帽子の広いつばの下、ジルティアさんが期待に満ちた眼差しをこちらへ向けている。

「名付けて『三月のティーセット』。うちの新作、自信作よ。どう?お安く……あー……」

営業をかける相手を間違えたことに気付いたのか、彼女の語尾が濁る。多少付き合いのある人々の間では、わたしと教会の経済状況はよく知られたところだ。貧乏は別に苦とも恥とも思わないが、優しい人に気を使わせてしまうのは本意ではない。内心後ろ髪を引かれつつも、わたしは会釈してその場を離れようとする。

「んー、そうだ!ルーシィーちゃん、モニターになってくれない?」

曰く、自信作ではあるものの出来立てホヤホヤの新製品であるので信頼の置けるユーザーに使用感などを聞きたいらしい。わたしは陶器や食器のことなど詳しくもないし、お茶の先生でもない。何より、その意図は明白だ。こんなに高いもの……甘えるわけにはいかない。わたしが固辞すると、ジルティアさんはさらに食い下がる。

「お願いだって!バイト代なら弾むからさっ!」

なおさら頂くわけにはいかない。
押し問答の末、気づけばわたしはいつの間にかこのティーセットのモニターを無料で請け負う事になっていた。

「はい、お願いね。……それ、もしかしてお菓子?ケーキ?甘い匂いすると思ったんだぁ、やだ手作り?ステキ!帰ったらお茶会だね!」

綺麗に包装された小箱をわたしに手渡しながら軽やかに言葉を紡ぐ。過度なお礼や謝罪の言葉などさし挟む余地すら与えてくれない。

この人はなんでこんなに格好いいんだろう。
ジルティアさんは、わたしの憧れだ。いつかこのようなオトナの女性になりたいと思う。取り敢えずまずは形から、やはり外見から磨いてみることにしようか。またそのうち、オシャレの悩みを聞いて貰いに来ようかな。

わたしはできる限り丁重なお礼をし、ついにその場を離れる。
今日は良い日だ。にゃん語尾の怪人の事などもう忘れた。一緒にお茶を楽しみたい人はあいにく留守にしているけれど、それでもわたしの足取りは軽くなる。

次の十字路で馬車が過ぎるのを待つ間、少しだけ目を閉じる。左右の手提げ袋からの響きに負けないくらい、温かく心に残る別れ際のジルティアさんの言葉。

「ルーシィーちゃんの見る目……いいえ、聴く耳には、私たちみんな一目置いてるんだから。」

***

次話

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