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『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』①落ち着きを失った現代人

 この論文で福田は、作家(一般に芸術家)というものが、かつての「卑しい職業」から神聖なる天職へと昇格していった歴史的経過とその理由を問う。

「芸術家が芸術家としての自覚と矜持とをもつにいたつたのは浪漫派以後のことであり、すくなくとも十八世紀においては - フランス大革命以前においては、まづ紳士たるために詩人たる栄誉を憚つたのである。良家の子弟は詩人や画家として立つことを一種の堕落と考へた。」

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

そんな詩人や画家たちだが、フランス革命を一つの契機として、神聖視されるような特別な存在へと昇格していった。その理由はなんであろうか。

福田はまず初めに、封建的な秩序が確立されていた時代における「職業」の役割について考える。

「集団的秩序の確立してゐるところに職業はいささかの動揺も感じない。職業とは、ごくすなほに考へて、ひとつの集団における分業的役割だといへよう。(中略)この集団の成員が一定し、この集団の他のいくつかの集団に対するかかはりが安定してをり、したがつて自己の職業がその集団の内部において果す役割の重さや縦と横との関係が実感できるあひだは、ひとは自家の職業に寸毫の迷ひも不安も懐かずその職業をとほして身分的な人間関係に安住することができた。」

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

封建的秩序の下で人々は、集団的自我と個人的自我のバランスを上手く保っていた。ここでいう集団的自我と個人的自我とは、人間のうちにある二つの相反する傾向のことを指す。

集団的自我とは「すすんで他とかかはりあひ、他を支配したり他に支配されたりすることをとほして自己を生かさうとする」自我のことである。
他方、個人的自我とは「他と絶縁し自己のうちに閉ぢこもることによつて己れを完成せしめんとする」自我のことである。

「いふまでもなく職業とは集団的自我の生きんとする通路であるが、より重要なことは、この通路が充分に開かれてゐることによつて個人的自我の平静と純粋が保たれるといふ事実なのである。」

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

封建的秩序の存在は、「職業」を通じて、人々に集団的自我の充足を与えていたのである。

しかしながら、封建的秩序の崩壊と近代的自我の覚醒は、この集団的自我の通路を防いでしまった。万人の内にある抑圧されたエゴイズム、すなわち権力欲は、捌け口を失い、最終的に個人的自我の場へと流れ込んでは個人的自我の平静と純粋を汚した。

これは、「職業」の専門家・純粋化に伴い、「職業」から人間味が脱落した結果として起きた現象だと福田は言う。

「もはや「職業」には昔日の人間味が失はれてしまつたのである ー かくして、あらゆる職業は自己完成の努力と絶縁し、近代人は社会に出てひとかどの男になるこころみのそとに、それとは別のものとして、ひそかに修身克己をこころがけねばならなくなつた。現代では、「職業」とはひとつの社会的約束であり、貸借清算の一方法であるにすぎなくなつた。」

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

今日では、名分上、万人は平等であり、機会は均等である。誰もが人間的には対等な存在である。ゆえに「職業」は支配関係ではなく、社会的役割分担の約束でしかなくなった。そこで行き場をなくしたのは、権力欲というエゴイズムである。このエゴイズムは、他を支配し支配されたいという万人が持つ根源的な欲求である。

この権力欲を満たす場を社会の中に失った現代人は、その矛先を自己の内に向けざるを得なくなってしまった。

「そとに対する出口を絶たれ、その矛先をひたすら内にむけた権力欲は、もはやかたときも個人の平静を許さうとしなくなる。ここに心理的均衡のみならず、生理的均衡すら脅されるにいたつた。」

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』福田恆存全集第一巻

このようにして現代人は落ち着きを失った。

つづく


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