息子が16歳になった。

今日は息子の16歳の誕生日。ドラクエ3なら、勇者として旅立つ日だ。昔ではすでに元服して一年になる。そんな年になった息子。

彼が生まれる前の事。切迫早産になっており、仕事から帰った後によく夜中に病院に妻と二人で一緒に行っていた。夜中でタクシーが捕まりにくく、ガラケーを開いて手にもって振る事でコンサートのペンライトみたいになってタクシーが捕まえられやすかったのを思い出す。ある日、また病院に行くことになり、とはいえ今日も夜遅くなるが帰れるだろうと思い行くと、急遽妻が入院する事になり、診察が終わった後の夜中の3時・4時に一人で病院から家に歩いて帰ったその道のさみしさ・暗さをよく覚えている。また妻は妻で急遽入院して点滴を打ってもらう日々になり、私が夜中に病院に行き、洗濯物を交換する日々を送っていた。いつ生まれてもおかしくない状態だからと病院に説明され、出産準備のグッズたちを急遽用意することになったが、母乳パッドや産褥ショーツなどを男一人で買いに行った時の周りの女性の方々の冷たい目線はとてもつらかった。その後早産になることなく無事退院できたが、とはいえその時の薬が効きすぎたのか、臨月になった時には逆になかなかおりてこなかったので、夜、仕事から帰ってきたらひたすら妻と家の周辺を一緒に散歩していた。予定日の数日前になったら階段を一緒に上って、エレベーターでおりて、また上って、としてた。そうすると予定日当日、朝から陣痛が来たので、タクシーを呼んで病院へ。病院について、更に陣痛を促進するために今度は病院の階段を一緒に上って、エレベーターでおりて、を繰り返していると更に陣痛が強くなり、少しベッドで休んでいる状態の時に破水。分娩室に妻と一緒に行って、妻と一緒に手を握って、妻の顔をずっと見て、看護婦さんからの伝言を伝え、一緒に呼吸を整えて、とにかく苦しそうな妻を励まして。何とか生まれてきてくれたが、へその緒が絡まっており灰色の状態。赤ちゃんというけれども灰色だな・・?と思っていたが、最初、おぎゃーとも何も言わず、そんなものなのかどうなのかよくわからなかったのだが、その後無事産声を上げてくれた。当時は何も思わなかったが、たぶん危険な状態だったのではないか。無事で本当に良かった。

生まれた後、すくすくと元気に育ってくれていたが、ある時幼稚園に通っていた平日に仕事場に電話がかかってきて、めちゃくちゃ焦っている妻から、息子が記憶喪失になったから来てほしいと。曰く、ジャングルジムから落ちて頭を打って記憶がもうろうとなっている状態で病院に行っていたようだ。自分が着いた時にはだいぶ意識ははっきりしていたが、妻曰く、かなり危ない状態だったらしい。妻は幼稚園側の過失を何とか・・と考えていたが、たぶんそれを問い詰めた所で息子の状態が変わる訳でもないからとなだめた事を覚えている。その後しばらく安静にする日が続いたけれども、幸い、その後何もない日々が続いている。

小学校に上がり、一緒に公園に行っていたある日。うんていをしている時に少し目を離したところで、泣き声がしたのでどうしたのかと思ったら、うんていから落ちて、ひじをおさえている。見るとめちゃ腫れてるし、どう見ても普通の腫れではないので、休みではあったが急ぎ行ける病院を探して病院へ。骨折だったのだが、たまたま診て頂いた先生がとても良い方で、手術せず治療でき、かつ後遺症もほぼない状態。彼は今、体を酷使する将来の夢に向かっているが、そこでひじの状態が何もマイナスになることなく、今に至れている。

息子には、本当に小さい時から好きで始めた、目標にしている事・夢がある。ずっと続けている事そのものがすごいと思うが、中学生のころに一度それを辞めようと言い出したことがあった。私としては絶対にその夢を叶えて欲しいとか、そういう気持ちは特になかったのだけれども、もしそう言い出した時にこう言おうと思っていた事、「本当にそれでいいなら辞めてもいいけど、好きで始めた子供時代の自分自身に向けて話した時に、その子供時代の自分が納得する理由なら辞めたらいいと思うよ」とアドバイスしたことがあった。それが何かのきっかけになったのかどうかは分からないが、息子からは後日、ありがとう、と言葉をもらい、息子自身はその辞めたい気持ちを振り切ったのか、今、夢に向かって頑張っている。

息子よ、お誕生日おめでとう。夢に向かって、充実した日々・人生を送れることを見守っているよ。


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