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少し大人に近づいた日

今日おしゃれな店でトマトを一切れ食べた。

わたしは子どもの頃、偏食であった。
果物や野菜がまるで食べられなかった。

いつか、姉の友人がバナナケーキを手土産に
遊びに来たことがあった。
全然バナナの味しないから!と、
よそってくれた。
友人の手前、断るわけにいかず
「おいしいね」と音を声にのせつつ
小刻みに震えて頑張っていた。

息はとめている。
のどにつまらないように歯を使って
刻んでいく。
飲み込もうと息継ぎをすると
バナナの甘い香りが広がる。
えずき、涙が出てくる。
でも飲み込まなくては。
一口食べた私の姿を見て、姉は
あとは私がもらう、と言った。
すまない。

そんな訳で小学校の給食での良い思い出はなく、
時代もあり
給食を見つめながら
掃除時間を過ごしたことが多かった。
机と椅子の隙間は体にちょうどフィットし
同級生の机で前後がぎゅうぎゅうに固められている。
物理的にも精神的にも逃げられないことが
辛かった。
泣いていた気もするけれど、よく覚えていない。


今日は健康診断で
朝から絶食が続いていた。
なので、終わったら美味しいものを食べようと家を出る前から決めていた。

無事に健康診断も終わり、
住宅地にある
小さなビストロを訪れた。
コンクリートの無機質な店内に
大量のカラフルなステッカーが貼られている。
縦ノリの音楽を感じながら
ちょっと奮発して通常より高い
ランチを注文した。
そこで提供されたサラダに件のトマトが添えられていたのだ。

話はそれるが、
昔より食べれるものは増えている。
ただ、どうしても無理なものもいくつかある。

さて、どうしたものか。
友人といればシェアできるが、あいにく一人。
おしゃれなビストロ。
サラダもただものじゃない。
色とりどりの野菜に、ドレッシングと香り漬けのハーブや柑橘が刻んで散らされている。
ハムには粒マスタードのソースがかかっており、
ビーツのピクルスは彩りを添えていた。
トマトは切っただけではなく、丁寧に皮を湯むきしてある。
手始めに他の野菜を食べる。
葉野菜の歯ごたえの中に柑橘の柔らかさがあることに震えるが
味はおいしかった。
覚悟を決めた。

水の残量を見つつ、
ハムに目を配る。
トマトを口に入れて、息を止めた。
噛むたびに忘れかけていた歯応えと
喉の奥からトマトの香りがぼんやりと伝わってくる。
えずいてはいけない。
なるべくトマトの気配を感じないように
店の音楽に集中した。
息が苦しい。

飲み込める大きさになり、
飲み込んですぐ、水を飲んで、一呼吸した。
吸い込んだ香りにトマトの存在感が
はっきりと残っていた。

えずくより先にハムを口に入れた。
塩分と粒マスタードありがとう。
トマトはまもなく姿を消した。

サラダも美味しかったが、
残さずに食べたことに喜びを感じていた。
その後のメインは天にも登る気持ちで
食べた。


帰り道、横断歩道を挟んで少年が
赤信号を待っていた。
トイレに行きたいのであろう。
足をクロスさせたり、股間を手で抑えたり、
足元が忙しかった。
青信号になると、少年は必死の形相で
駆け抜けて行った。

少年の無事を祈るとともに、
子どもの頃の私と姿を重ねていた。

ただ、嫌いなトマトを食べましたよって
だけの話。






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