キナリ読書フェス(期限切れ) ③
さぁ、読むぞー!
十分すぎるほどの予習を踏まえ、いざ読み始めてみると……
なんか思ってたのと違う…?
ポウセ童子ってだれ?そんな奴いたか?
遥か昔に薄っすら読んだだけなので、そのうち思い出すかと読み進めてみたけど、やっぱりなにかおかしい…
さすがに異変に気づき、目次まで引き返してよーく確認してみると…
これって……
全然別の小説じゃねぇか(゚Д゚)ゴルァ!!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥
そうなのです。恥ずかしながら1冊まるまる『銀河鉄道の夜』の文庫本かと思い込んでおりましたが、実は14編からの短編集だったのです。
本の厚みを見て、こんな長い話だったっけ…?とは思っていました。ちょっと考えれば分かりそうなものですが、いろいろ忙しくて心のゆとりがなかったのです。
で、実際は77頁だけ…
マジか…これだったらフェスにも間に合ったんじゃないのか…?
是非もなし…
気を取り直してページを開き、あっという間に読了。
いくつか発見がありました。
やっと感想に入ります。
「銀河鉄道の夜」を読んで
①SLじゃなかった…
「それにこの汽車石炭を炊いてないねえ。」
ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」
カムパネルラが云いました。
『銀河鉄道の夜』6、銀河ステーション
…って言っちゃってるよ……(・ε・)オイオイ…
マジかよ…表紙に思いっきり蒸気機関車の絵が載ってるじゃないか。て言うか映画でもSLだったはずだぞ。
「SLじゃないなら、じゃあなんなの?」って話になるわけですが、アルコールならディーゼル機関車で、電気なら電気機関車(≠電車)ということになります。
われわれ、999のせいで脳内で完全に蒸気機関車になっちゃってますから、ディーゼルとか言われましてもちょっと…いっそ馬車の方がよっぽど夢があるのでは…
でも大正時代の人にとったら、石炭よりも電気で走る方が未来的でSFなのかな。ただ、軽便鉄道ってのがちょっと引っかかるけど。
宮沢賢治からすれば当時の常識だったSLよりも、エンジンで動く未来の列車で宇宙へ旅立つ方が夢があったにに違いない。どうやら、メディアにより作られたイメージにとらわれていたようです。
②ザネリ 残念な男
「ラッコの上着が来るよ。」でおなじみのザネリ。
いじめっこキャラで名前が横文字ってことから、ジャイアンとかバック・トゥ・ザ・フューチャーのビフみたいな肉弾戦タイプを勝手に想像しておりましたが、全然ちがいました。
ジョバンニから「走るときはまるで鼠のようなくせに。」なんて言われてるくらいだから、おそらく貧相な体格の男の子だったようです。
たしかにガタイの良い男だったら、溺れたとき重くてカムパネルラには助けられなかったかも知れません。
特にラスボス的な役割でもなく、序盤からジョバンニと読者を陰鬱な気持ちにさせ、中盤せっかく銀河鉄道で良い気分になってたところを、最後にカムパネルラの死の元凶として再登場し、うちへ連れられてっておしまい。
ひたすら迷惑な男です。
カムパネルラが自分の命と引き換えに救ったのがこの子では、ちょっと納得がいきません。童話の結末にしてはあんまりです。
宮沢賢治はなぜこの子のためにカムパネルラを死なせてしまったのでしょうか?
③カムパネルラの死の謎
死んでしまうのは既定路線だったとしても、もう少しなんとかならなかったのでしょうか?それとも敢えての非情な演出で、世の無常を問いたかったりしたのでしょうか?
ここでちょっと気になることがありました。
実は「第3次稿」までは、カムパネルラが川で行方不明になるエピソードはなかったのです。つまり死ななかったのです。
第3次稿までの銀河鉄道の旅は、物語のキーマンであるブルカニロ博士(詳細不明)の実験により、主人公が人為的に見た夢だったという設定でした。
ところが「第4次稿」ではブルカニロ博士の記述は全てカットされ、最初からいないものとなっています。
代わりに最後の水難の設定が追加されているので、賢治の中でなにか変化があったのでしょう。超絶重要人物であるカムパネルラを死なせてまで、一体なにを伝えたかったのでしょうか?
これはジョバンニ目線から見れば絶望しかない展開です。なにか少しは救いになるようなエピローグでもあれば良かったのですが、残念ながらいきなり終わります。
ただ、あまりにもいきなり過ぎます。
ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいででなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。 『銀河鉄道の夜』9、ジョバンニの切符
これが物語の最後の一文ですが、なんかまだ続きがありそうな気がするのは私だけでしょうか?
もしかすると、ザネリの残念すぎる名誉を少しはフォローしてカムパネルラの死に何らかの意味を持たせてあげるなど、もう少し肉付けするつもりだったのかも知れません。
第4次稿で初登場のカムパネルラのお父さんにしても、我が子を亡くしたばかりの親としてはあまりにも言動が不自然ですから、最後のエピソードが構想の途中であった可能性が考えられます。
すべて私の勝手な妄想なのですが、こうやって自分なりの解釈を楽しめるのも、この未完成の物語の魅力なのかなと思いました。
④妹トシへ
カムパネルラは本当に気の毒な運命でしたが、銀河鉄道の旅の最後に、亡くなったお母さんと天上で再会できたような描写があります。そこが唯一の救いです。
この作品を描くきっかけと考えられている妹トシの死ですが、賢治はトシの死後にその魂と交信しようと樺太まで旅をしたと言いますから、自分も死後に天上でトシと再会できると信じていたのかも知れません。
そう考えると銀河鉄道とは、亡くなった妹の魂が無事に天上へ届いているようにと、賢治が考えてあげた乗り物だったとも考えられます。また車窓から見えた、独特の美しい表現による素晴らしい銀河の景色も、妹が道中不安にならぬよう、また現世の辛かったことを忘れるための、やさしいお兄ちゃんからの贈り物だったとしたら素敵ですね。
見当違いかも知れませんが、そうだったらちょっといいなと思ったのでした。
(おしまい)
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