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恩師、河野真治先生。

恩師の突然の死に、人生で初めて腑抜けのようにった。やる気が出ないってこういうことなんだな、と。

昨日のお通夜、今日の葬儀、ずっと彼の遺影を眺めながら、悲しくて、寂しくて、

「また子どもたちに話しにきてやってくれんか」と、11月に学校に話しにいった後にやり取りしたメッセージ見ながら、

先生から自分は何を受け継げるだろうか
ホンモノであれ、とか
色々考えようとしても
何も考えられず、心にポッカリ穴が空いた

これが先生との最後のやり取りになった


会場で流れ続けた先生が好きだったブルーハーツの曲を帰りの車で聞きながら、家に帰らずただただダラダラ走っていたら

「人の痛みに寄り添う人間であれ」
と言われた気がした。

河野先生はまさにそんな人だった。

11月に学校に話しにいった時、校長室で子ども達と雑談しているときに聞かれた
「田口さんは校長先生のどこが一番好きですか?」

難しすぎて、即答できず
でも車で帰りながら思ったことは

「いつも子どものことを一番に考えているところ」だった。

思いやりの人だった。

11月のその時も、
「話してもらった後、ついでに学校の給食食べるか?」と聞かれていたので、yesと答えておいた

そしたら当日、先生はコンビニの弁当を食べていた。
「先生、給食食べんと?」と聞いたら、自分の分を田口に渡したから弁当買ってきた、と。

給食なんて一食分くらい絶対余るのに、、
それでも、無料で食べるのは申し訳ないと。

先生の頭の中には、給食代を払っている家庭の姿があったんだと思う。
どこまでも誠実な人だった。

校長室には、僕の本が飾ってあった
遺品にはひっそりビジネスレザーファクトリーのペンケースがあった

ビジネスレザーファクトリーのペンケース。こっそり買って応援してくれたんだ

恩師だったけど
同志だった。

子どもたちのために、これから色々やろうやと話していた。先生はまだまだやりたいことあったのに、俺は心の底から悔しいよ。

でも

腑抜けになった人の気持ちも
心に穴があくって感覚もはじめて分かった。

最後の最後まで大切なことを教えてくれて
ありがとう。

人の痛みに寄り添える人間であれるよう
先生の背中追いかけ、頑張るよ。

また、会う日まで。



心に太陽を持て
くちびるに歌を持て

先生からもらった言葉
忘れない


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