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Twitterと自由律俳句は本当に相性が良いのか(約5分)
「Twitterと自由律俳句は相性が良い」と言われています。
たしかに、一見して相性の良さはあると思います。
「ツイートする」という言葉を通例通り日本語訳してみると
「つぶやく」となるわけですが、自由律俳句はまさに「つぶやき」。
誰が聞いていても、誰も聞いていなくても、純然とただそこに存在する。
そして「いい」と思った人が「いいね」する。広がる。
このあたりが、「相性が良い」と言われる所以(ゆえん)かと思います。
ただ「本当にそうかな」とも思うのです。
そこで今回はあえて、Twitterと自由律俳句の「相性の悪さ」について、
考えてみようと思います。
1. 140文字も書ける、ということ。
俳句は5・7・5の計17音。短歌は5・7・5・7・7の計31音。
ひらがなで書けばそれぞれ17文字、31文字。
自由律俳句の文字数に決まりはありませんが、概して、そうそう長いものではありません。
想像してみましょう。
自由律俳句を書こうとしたとき、140文字も書ける大きさの短冊が目の前にあるとしたら…。
これはあまりに広大で、その広大さに甘えてしまうことがあると思うのです。
「自由律俳句は長くてはいけない」
ということはもちろんありませんが、
俳句から連なる文芸であることからすれば、
短く凝縮されていることによる美しさは安易には捨てがたい。
しかし、スペースがあると、フル活用したくなるのも人間の性(さが)。
結果として、「少し長めの自由律俳句」ができあがる土壌になってしまっているのです。
2. ハッシュタグの暴走。
ハッシュタグ。
これは、非常に便利です。
ただ、自由律俳句をTwitterで詠む、という観点から言えば、便利すぎるのです。
どういうことかといえば、「#自由律俳句」というハッシュタグをつければ「これは自由律俳句である」と言い張ることができてしまうのです。
雨の予報なのに傘を忘れて濡れてしまった
#自由律俳句
母に叱られていやいや宿題を始める
#自由律俳句
初めて入った店が居心地が悪くてすぐに出た
#自由律俳句
※上記3句は、いずれも今回の解説のために、創作したものです。
これらは、ただの報告ですが、ハッシュタグによってさりげなく(?)自由律俳句である、と言い張ることができます。
ある意味で、ずるい、とも言えます。
結果として「自由律俳句」然としていないコトバたちも、
自由律俳句としてカンタンに世に出ることができてしまうのです。
とりもなおさずこの現象は、自由律俳句が世に誤解されるきっかけを生み、
「自由律俳句なんてただの文だ」という指摘の元にもなりかねないものです。
3. 「わかりにくいものが敬遠される」
Twitterのタイムラインは、「わかりやすさ」が重視されます。
価値のあるコンテンツも、わかりにくければスルーされてしまいます。
たとえばここに、わかりにくい自由律俳句があるとします。
それを本で目にした場合、人は、ページをめくる手を止め、考えます。
どんな意味だろう。
そうか、これはこういう解釈かな。
ということは、自身のことを言っている風で、実は世の中のことを言っているんだな。
こんなふうに脳内、あるいは心の中でどんどん広がっていきます。
これが、定型俳句や自由律俳句を含む、詩の世界。
では、同じ句を、Twitterのタイムラインで目にしたとします。
たとえばその句の前後にわかりやすく面白そうな情報があり、
それに興味を惹かれると、句のことをさほど考えることもなく、過ぎ去ってしまう。
指先一本で、名句が流れ去っていく。
少しでも難解な自由律俳句は「よくわからないもの」として処理されてしまうのです。
結果として、「少しわかりにくいが上質な句」
よりも「わかりやすさ重視の句」が目立つことになる。
それを意識的、あるいは無意識に感じる作り手は、「わかりやすい句」を
積極的につぶやきがちにもなる。
「わかりやすいもの」が悪いわけではないのですが、
「わかりにくいもの」が「わかりにくい」という理由だけで埋没してしまうことが、個人的には切なかったりはします。
以上3点が、私の考える「Twitterと自由律俳句の相性の悪さ」です。
では、Twitterで自由律をつぶやくことをやめるのか。
いえいえ、やめません。
冒頭で述べた通り、相性の良さもたしかにあります。
(今回の趣旨とはずれるので、良さについては簡単にまとめましたが、実際のところは、一本別の記事がかけてしまうくらい、良い点があると感じています)
なにより、大事なのは、これらの特性を理解した上で、我々ユーザーが、
このとても便利なツールを上手に活用していくことです。
我々一般の創作者が、多くの人に作品を見てもらうきっかけをくれたり、時には奇跡的なめぐり合わせを生み出してくれたりする、素晴らしい媒体であることは間違いないことなのですから。
私自身、Twitterを通じて、たくさんの素晴らしい創作者の方々に出会えました。その出会いをくれた媒体に感謝しつつ、筆を置きます。
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