考える力 #68
これまでは、(一部の例外を除き)本や論文を書き、それらを出版社などを通して公表すること以外に自らの考えを世の中に知らせる手段はありませんでした。
しかしながら、現代は、SNSなどを活用して、誰しもが自分の考えを世の中に対して主張できる時代となりました。このnoteもその一手段だと思います。
一方で、そのため、容易に個人の考えに触れることができるようになったことから、表面だけを剥ぎ取った上っ面の他人の意見の受け売りのような主張も目立つようになりました。
このような時代において、他人の受け入れではない、自分自身の頭で考えた意見を主張できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか。
つまり、自分自身の頭で「考える力」を身につけるにはどうしたらよいのかということです。
今回はこの点について考えてみたいと思います。
思考を深める
「思考を深める」ためには、次の3ステップを踏むことが必要だとされています。
知る⇨考える⇨議論する
「考える力」をつける前提は、知識を得ることです。それをベースに思考を深めることで、自分自身の「思考の軸」が備わってくると思います。
教養
自分の軸を作る
「教養」については、以前にこのnoteにも書きました。
自分の頭で考え、ブレない価値観をきちんと主張し、コミュニケーションを図るために必要なこと。その答えの一つが哲学、価値観を踏まえた本物の「教養」を身につけることだと思います。
「教養」とは「自分という人物を形作っている軸」として捉えることができます。
「教養」としてのテーマは、様々ありますが、以下では、「自己認識」と「国家観」を例に、「自分の軸」について、考えていただきたいと思います。
自己認識
Q あなた自身(あなたの背景、あなたの考えなど)について書きなさい。(2012年ハーバード大学ロースクール入試)
どんな物事であれ、人は自分の「認識」というフィルターを通して理解し、解釈しています。人の経験は事実と「認識」がセットになっているのです。
人は同じ情報に対し、どれだけ異なる「認識」をするものなのでしょうか。そして、自分自身は、物事をどのように受け止め、「認識」するタイプなのでしょうか。
ソクラテス(古代ギリシャの哲学者、BC469〜BC399)
「無知の知」
「私は何も知りはしないが、少なくとも知っているとは思っていない。つまり(その分だけ)私の方が彼らよりも賢明である。」
「自分は無知であると認識している者こそ賢者」と神は語った。
パソコンが何かも知らずに、これはパソコンだと言い切ることはできません。
普段、自分が当たり前と思っていることに対して厳しく疑問の目を向けることが必要です。
真実はどこにあるのでしょうか。分からないものを、どうしたら本質的に分かるようになるのでしょうか。
ルネ・デカルト(17世紀、フランス、哲学者、数学者)
「我思う、故に我あり」
「方法序説」こうすれば物事の真偽が確かめられる。
①とにかく疑うこと
②徹底して細分化すること(分析)
③単純なものから複雑なものへと段階を追って考察していくこと
④漏れがないように見直すこと(MECE)
この4つのステップを経て、なお確かであると残ったものが本物。
デカルトの主張をどう感じたでしょうか。
その感じ方、認識のスタイルこそが、自分という人物を形作る重要な要素となります。
自分自身の認識の仕方はアナリスティック(分析的、西洋的)なのか、ホリスティック(全体的、東洋的)なのか、ということです。
老子(BC6世紀、古代中国の哲学者)
「道(タオ)とは何か」
「美しい」ものは、「汚い」ものがあるから「美しい」と呼ばれる。「善」は、「悪」があるから「善」と呼ばる。存在の有無も、「無い」があるから、「在る」がある。お互いに片一方だけでは決して存在し得ない。
両側面の存在を見つめる大切さ、大局観を表しています。
Q 自分はアナリスティックな人間か、それともホリスティックな人間か。
同じ物事でも、お互いに視点、認識に差があるということを理解した上で、話し合いを進めていく必要があります。
清水博(生命関係学、薬学博士、科学者、東京大学教授)
「場の思想」
自分という存在を考える際には「自分そのもの」だけではなく、自分が属している「場」についても考えることが重要。
自分自身という存在は、普段属しているグループにも影響を受けています。
本来、自己というのは二重構造になっていて、「他者と簡単には混ざり合わない確固たる部分」と「他者と混ざり合うことで柔軟に形を変えていく部分」とがあります。
それはちょうどボウルの中に割られた卵(個人個人)の黄身と白身のようなものです。白身のように他者と混じり合う部分と黄身のように混ざり合うことなく、認識可能な状態で存在し続ける部分に分かれます。
Q あなた自身の「黄身」と「白身」には何があるか。
そして、同じボウルの中に割られ、白身を共有することになった卵(個人)は我という意識から、我々という意識に変わっていきます(個人とグループとの関係性)。
グループが先にきて自分が後にくるか、自分が先にあってグループが後にくるか。
このような「自己認識」の差を知ることも自分自身の軸を考えるきっかけになります。
自分自身が信じているものはあくまでも自分の認識をベースにしたものであり、世間一般で通用する真理とは限りません。
それは、自分が正しいと思っているだけに過ぎないかもしれません。
国家観
Q 国家間の戦争より、国家内の争いが多くなった理由を考えよ(2004年国連職員採用競争試験問題より)。
そもそも国とはどんな役割を担い、何を優先し、何を守っているのでしょうか。
自分自身は、国家というものをどう捉え、どう考え、どう判断しているのでしょうか。
Q 「私は、日本人である」と言う場合、あなたの言う日本とは、国家とはいったい何か。
世界を見れば、国とは決して当たり前に存在しているものではありません。
トマス・ホッブズ(1588年、イングランド、17世紀に活躍した哲学者)
「リバイアサン」
「リバイアサン」とは、人間と似た形をした巨大なお化けのような存在。その巨大なお化けが、私たちの上に覆いかぶさるように存在している。つまり、それが国家。
ホッブスは、人間は皆平等だと言いました。その真意は、「平等ほど危険なものはない」という人類への警鐘でした。
皆が似たような能力を持つ平等状態にある限り、人々は常に相互不信を起こし、お互い敵になるということです。
ホッブスは、性悪説に立って、人類を捉えています。そして、人間は評価されることを求めるとし、それを得るために他人を攻撃し続けると言いました。そして、人々が争う原因として、競争、相互不信、誇り(評価されること)の3つがあるとしました。
この競争状態を解消するために「リバイアサン(共通の権力、共通のルール)」が必要だというのがホッブスの主張です。これが国家であり、政治コミュニティの役割というわけです。
ジョン・ロック(1962年、イングランドの哲学者。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に多大な影響を与えた。)
「自然法(コモン・ロー)」
そもそも人は正しく生きる精神が備わっている。もともと世の中に備わっている自然状態の法律、自然法(コモン・ロー)に人は従っている。
ロックの立場は性善説です。ロックは人の良心、正義というものを信じています。人間は自ら律する力を初めから備えているのです。
人間は自然に存在している自然法(コモン・ロー)に従わなければいけないし、この自然法(コモン・ロー)の下では人間は全て平等です。
社会にルールがあるからそれを守るのではなく、人間はもともと自ら律する力があって、それに従って生きていくことができます。
もともと人間は正しく生きることができるものですが、例外的な人はいるかもしれないし、偶発的な状況がトラブルを生むかもしれません。したがって国家が必要となります。
ルールを決めてそれに従うという点では同じですが、人間とはどういうものかという根本の思想の違いによって、そのルールの内容や施行の仕方は大きく異なることになります。
ホッブズの思想であれ、ロックの思想であれ、彼らの思想が今日の我々の日常、属している国家、それらが集まる世界に密接につながっています。
自分自身は国家についてどのような考えを抱くでしょうか。
自らの安全を確保したり、それをより強固なものとするために共同体が必要で、それが国家の存在意義となっています。
であれば、なぜ世界は一つになれないのでしょうか。それよりもむしろ分裂する方向に向うのはなぜなのでしょうか。
サミュエル・フィリップス・ハンティトン(1927年、ハーバード大学教授、国際政治学者)
「1969年『文明の衝突』」
これからの政治の中心は、異なる文明を背景とするグループ間の対立になる。
ハティントンは、冷戦後でもっとも大事な「違い」は、イデオロギーでも、政治でも、経済でも、どの国に属するかでもなく、どの「文明」に属するかというグループ分けだと主張しました。
Q 私たちはいったい何者か。(Who are you?)
重要なのは国家ではなく、祖先、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度などに関連づけられた広義の文明だとハティントンは分析しました。
文明・文化という視点で考えたときに、自分はどのグループに属しているのでしょうか。
文明の異なる国家やグループ間で暴力闘争が起これば、それはエスカレートする可能性があります。
日本は国家枠と文明枠が一致する唯一の国であり、一方で外国に日本と同じ文明を持ってる国がない非常に稀な存在です。
Q 日本とは一体どんな国か。
外国語には日本語の「がんばれ」に相当する言葉がありません。微妙なニュアンスを感じ合うのも日本人の特徴です。「もったいない」は世界にはない概念だと言われます。
日本人にはあらゆるものに神が宿るという感覚が自然に備わっており、その「精神性」が多くの日本人の間で共有され、「もったいない」などの独自な文化が育まれてきたのかもしれません。
以上、「自己認識」と「国家観」について、哲学者や科学者、政治学者などの思想を紐解きながら考えてきました。
他にも「経済」や「芸術」「科学」「自由思想」など、自分の軸となるテーマは多数あると思います。それぞれについて深めた思考が「教養」となり、一貫した自分の考えを主張することができるようになると思います。
参考・引用:「世界のトップスクールが実践する考える力の磨き方」福原正大著(大和書房)
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