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宗教は悪くない、殺人は悪い 安倍晋三銃撃事件ノート①

安倍元首相銃撃事件で興味深いのは、他人を銃撃したのが特定宗教の信者でなく、特定宗教を心から嫌う無宗教らしい人物だったということだ。

しかも、それによって「無宗教は怖い」ということにはならず、なぜか「宗教は怖い」、さらに「これをきっかけに旧統一教会を糾弾すべき」「旧統一教会と自民党との繋がりも解明すべき」といった発言がよく聞かれる。

NHKによると、この容疑者は「母親が宗教団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった。」と供述しているらしい。こういう母親は持ちたくないものだと思うけれど、普通に考えて、別に何も悪いことはしていない。宗教はもちろん、寄付も本人の意思であれば(気の毒だとは思うけれど)止めようがない。

宗教にハマって寄付をしたから家庭が崩壊するのではない。銃を作って人を撃ち殺すから家庭が崩壊する

親であれ子であれ、信仰は自由だ。他人なのだから仕方がない。それに、お金をどう使うかも自由。もちろん、自分の親が意味不明な壺を買うのに何千万円も使ったら、僕だっていい気はしない。でも、それが親の金であって自分の金ではない以上、仕方のないことだ。お金の使い道というのは人それぞれである。アイドルや漫画のキャラクター、車や時計にだって、何千万円と使う人がいる。場合によっては壺より無意味だと思うが、それだって仕方のないことだ。自分の家族がそうならないことを祈るしかない。

特定の宗教が憎いあまり、銃を自作して、人を撃ち殺してしまう時代。宗教を信じる人よりも、宗教を含む他人や社会との距離感がわからず、一方的な嫌悪を募らせてしまう人の方が、危ないと思う。

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