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【読書】猪木武徳『経済成長の果実』ー 若干内容は詰め込みすぎだけど、高度成長期を知る最初の一冊として良い

日本近代史を扱った中央公論新社の「日本の近代」シリーズの第7巻目。

2013年に中公文庫で文庫化されているが、自分が読んだのは2000年出版のハードカバー版だ。ハードカバー版だと図説が2色刷り、写真もカラーなのでハードカバー版の方がお勧めである。

本書では、高度経済成長が始まった1955年から、オイルショックによりそれが終焉した1972年までの17年間を取り扱っている。「大変化の時代」である高度成長期が政治史、外交史、経済史、文化史などの観点から重層的に語られている。経済学者が担当した巻だけあって経済史の記述のウェイトが大きい。特に印象が残ったのは、ブレトン・ウッズ体制全盛期の池田勇人内閣、過渡期としての佐藤栄作内閣、ブレトン・ウッズ体制崩壊後の田中角栄内閣、それぞれの経済政策の比較検討である。

池田勇人内閣時代は形式的には均衡財政だが、内実は拡張的な財政政策だった。当時は経済成長率が高かったために、毎年補正予算を組んでも均衡財政を達成できた。補正予算を出して政府支出を増加させても、まだ財政が均衡したほどである。池田内閣の経済政策の特徴は、補正予算と減税を通して財政支出と消費拡大が更に成長を刺激するという好循環が形成された点にある。このときの景気の微調整は、「国際収支の天井」を睨みつつ、金融政策によって行われた。

佐藤栄作内閣では、池田内閣のときとは違い、金融政策と財政政策の両面で景気調整が行われるようになった。財政政策は景気が良くなると財政抑制が行われ、不況時には財政拡張が行われるという反循環的な財政政策が採られるようになった。佐藤内閣期での財政政策のもう一つの特徴は、拡張的財政政策で内需を減らし国際収支黒字を削減することで、円切上げを回避しようとした点だ。71年には、ドル・ショックに端を発する円切上げを回避するための内需拡大を目的とした拡張的財政金融政策が行われており、この時すでに「過剰流動性」が誕生していた。後の70年代初期の大インフレの種子はすでにこのときに巻かれていたようである。やはり財政政策を反循環的に行うのはよろしくない。

高度成長期の終焉を飾った田中角栄内閣について。田中内閣といえば、「日本列島改造論計画」と73年のオイルショックにより、「狂乱物価」が到来したというのが世間一般の通説であるが、上で述べたように「狂乱物価」の原因は佐藤内閣末期まで遡れる。また「日本列島改造計画」は、財政拡大を行うであろうということから期待形成が行われて、計画の実行前からすでにインフレ期待の加速が始まっていた。「日本列島改造計画」自体はインフレ加速により、田中内閣の支持率が落ちたために、ほとんど実行されずに頓挫したのが事実のようだ。インフレ期待の形成は何も金融政策の専売特許ではないと言えよう。

他にも、戦後のパン食の普及には、戦後間もない頃から始まった学校給食でのパン食の提供が大きく影響している(学校給食においてパン食は米食よりも20年先行していた)ことや、55年8月にワルシャワでの開催以来、米中会談は断続的に100回以上も開かれており、ニクソン大統領の訪中が全くの断絶状態から突如として米中首脳会談という形で実現したわけではないことなど、初めて知るエピソードが合間に挟まれており、本書を読む上で良いアクセントとなった。政治運動を扱った章で社会党、共産党に厳しく、民社党や社会党内構造改革派への目線が優しいのは、さすが戦後保守派の大物の猪木正道の息子だなあと多少苦笑したが。情報量が若干多い本であるが、高度成長時代を知る一冊としてお薦めの一冊である。




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