マガジンのカバー画像

エッセイ

72
人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
運営しているクリエイター

#旅エッセイ

「無謀」なんて言葉で片付けるな。たどり着いた「生き方」なんだ。

「もう3週間くらい前になるかなあ。ここに泊まってた人なんだけどさ、その人さあ、日本での生活を全て捨ててやってきたらしくて。白人の彼女を連れてこれから最南端に行くって言っててさー、かっこよかったなあ。今頃どこにいるのかなあ」 その日、バラナシには澄んだ空が広がっていた。南インドケララ州の空みたいに広くて青かった。ガンジス川のほとりにある小さなゲストハウスに泊まっていた僕は、宿のたまり場のようなスペースで、そこに“沈没”している日本人バックパッカーたちの話を聞いていた。(

パンケーキを食べずに死ねるか、と思った「下栗の里」。

天空の里。日本のチロル。日本のマチュピチュ。生きたマチュピチュ。 『下栗の里』には、いろいろな愛称がある。そこは、標高800〜1000m、最大傾斜38度の急斜面に民家や畑がへばり付くように点在する集落だ。長野県飯田市の山深い地域にある人口150人余りの里は、「日本の里100選」に選ばれている。スタジオジブリの短編映画「ちゅうずもう」の着想を得た場所だと言われ、実際、宮崎駿監督が訪れて宿に泊まったらしい。(下部イラスト参照) 好奇心を揺さぶるキーワードだらけの『下栗の里』。

サハラで出会った一番美しいもの

午前5時30分、腕時計のアラームが鳴った。 暗闇の中、“砂漠の民”ベルベル人のガイドがテントにやってきて出発を告げる。これからサハラ砂漠の日の出をみるために、高い砂丘を登るのだ。 ひんやりした空気の中、僕を含めたキャラバン参加者たちは、ガイドの後を追って足元が見えない砂丘をズボズボ登る。頂上に到着すると、みんなで横一列に並んで砂の上に座った。後はただひたすら待つのみ。 舞台の緞帳が上がるかのように、暗闇に隠れていた世界が少しずつ輪郭を見せ始める。空の色は、数分ごとに、赤

夢のかけら

物足りなかった。持て余していた。 大学生活が3年目を迎えた頃、夢もお金もなかったが、時間とエネルギーだけはたっぷりあった。僕は退屈な日々の中にいて、未来につながるような、寝食を忘れて没頭できるような何かがほしくて仕方なかった。 現状を打破するためには、今までの自分では到底考えられないような大胆な行動が必要だ。でも何をすればいいのかわからなかった。そんなある日、「深夜特急」という本に出会う。 海外一人旅なんて不安と怖さしかない。 一人旅どころかパスポートを持った経験すら

たまに、後ろを振りかえる。

人は「節目」になると、旅に出る。 卒業旅行をはじめ、結婚◎年目のアニバーサリー旅行、父親の定年退職を祝う旅行、さらに言えば、失恋旅行っていうのもある。それらの旅に共通しているのは「追懐」だ。節目の旅には、それまで歩んできた日々を思い出して懐かしむ時間が必ずある。 列車の車窓から流れていく景色を眺めながら。異国の大きな空を見上げながら。温泉に浸かりながら。旅という非日常空間の中で、過ぎ去った日々を思って感慨にふけったりする。 ほとんどの人が、わざわざ過去を思い出そうと思っ

伝説のボールペンを探し求めて、南インドまで。

「今回の目的は2つあって、一つはダージリンで紅茶を飲むこと、もう一つはカニャークマリでボールペンを買うことやねん。ずっと前から行きたかったんやわ」 Mさんは、タクシーの窓から夜のデリー市街のネオンを眺めながら、京都弁で熱く語った。会社から半ば強引に長期休暇をもらってやってきたらしい。たったの2週間で、最南端のカニャークマリとインド北東部のダージリンに行くのだという。一気に南下して、一気に北上するプランだという。デリーからカニャークマリまでは列車で最低でも丸2日はかかる。一見