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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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#人生哲学

「無謀」なんて言葉で片付けるな。たどり着いた「生き方」なんだ。

「もう3週間くらい前になるかなあ。ここに泊まってた人なんだけどさ、その人さあ、日本での生活を全て捨ててやってきたらしくて。白人の彼女を連れてこれから最南端に行くって言っててさー、かっこよかったなあ。今頃どこにいるのかなあ」 その日、バラナシには澄んだ空が広がっていた。南インドケララ州の空みたいに広くて青かった。ガンジス川のほとりにある小さなゲストハウスに泊まっていた僕は、宿のたまり場のようなスペースで、そこに“沈没”している日本人バックパッカーたちの話を聞いていた。(

たった2年で何ができる?

高校在学中にデビューした小説家、綿矢りささん。 今さらながら、そのすごさを感じている。作品はもちろんなのだけど、私は「デビューまでの時間」の方に着目する。 綿矢りささんは、高校二年生(17歳)の時に文藝賞を受賞した。 生まれてから約17年。文字を初めて書いたのが幼稚園だと仮定すると、4歳くらいで文字に触れてから文藝賞受賞まで約13年ほどである。その2年後には芥川賞を受賞することになる。 小説を書き始めたのは高校生になってからだそうだ。きっかけは太宰治の小説だったという

人はみんな若いまま死ぬ。

二十歳のときは、 三十歳の感覚なんてわからなかった。 三十歳のときは、 四十歳の感覚なんてわからなかった。 四十歳を過ぎた今、 五十歳や六十歳や七十歳の感覚を 少し想像できるようになった。 何歳になっても、 きっと「人生まだまだこれから」と 思って生きているんだろうなって。 二十代前半のころ、 四十代以降の感覚なんて想像もつかなくて こんな乱暴なことを思っていた。 四十代以降って、 もう若さも体力も相当失われていて、 先(可能性)がほぼ見えていて、 “人生の消化試合

いままでの自分より、ちょっとだけ自由になる方法。

先日、糸井重里さんと阿部広太郎さんのトークショーに行ってきた。これは、「企画でメシを食っていく」の特別編として横浜で開催されたイベントだ。会場に来ている人たちは、自分の仕事や人生の参考になる何かを得ようという顔つきで、PCやノートにメモをとりながら熱心に話を聞いていた。自分もその中の一人だった。間違いなく熱量にあふれた空間だった。面白い話をたくさん聞けた。 今回、そのトークショーの内容をごっそりまとめるといったことはしないが、その場にいた人みんなの印象に残ってるであろう話に