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出不精の告白。

出不精である。
親に聞くところによると子どもの頃から家でひとりで遊ぶのが好きだったのだと言う。
潤沢にお金があれば、どこへも出掛けずずっと部屋で趣味に勤しみたいという思いもある。
けっこうな都会に住んでいるので一歩出ればなんでもすぐ手に入る距離にある。
それは問題ではない。
玄関を出るのが億劫なのである。
玄関を出る準備を整えることが面倒なのである。
そんな私ではあるが昔からその出不精を打破しようとするきらいがある。
今でも努力はしている。
若い頃はずっとブーツを履いていた。それをスニーカーに替えた。
サッと脱ぎ履きできるものを選んだわけだ。
長かった髪を短くした。
出かける時に整える時間を短くするためだ。
オシャレには今も気をつけている。
良い服を来て外に出掛けたいと思うよう自らを促すためだ。
むしろオシャレすることを拒否し、ジャージを買い漁った時期もあった。着替える手間を取り除くためだ。

どれも効果はほとんどない。
未だに出不精、必要があるから出掛けているだけで、出掛けることに幸せは見出せていない。
家から動かない方が幸せなのだ。
唯一、歩調を軽やかにしてくれるのが恋人の存在。
それがある時だけ出かけることに臆病ではない(今のところは)。
今はひとりものなので非常に玄関の扉が重い状況である。

「そんなひとがよくライブをやれているね」とよく言われる。いつも気の利いた回答ができない。これだけはなくなると気が狂いそうになる。実際何年もステージから離れた時期、荒れまくっていた。
ライブに向かう時だけフットワークは軽くなる、と言いたいところだが、そんなこともない。
実はほぼ毎回出掛けるのが面倒である。
楽器やら物販やらあれだけの荷物を抱えて出るのは私には過酷すぎる。
それでもライブをやれば気は晴れるし、晴れたまま帰路につく。
これはひとえに観に来てくれるみんなのおかげです。

出不精解消されたら人生はもっと楽しくなるだろうか?
わざわざカフェや公園のベンチに座りに行く人生は豊かだろうか。
今の私には理解ができない。
家にいる方が幾分幸せである。

そんな私の部屋は快適である。
欲しいものは大概あるし、暇にもならない。
つまりその快適さが人生を不快適にしているのかも知れない。

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