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いつの間にか「あこぎ」な商売だと思われないように

1.「人助け」と「あこぎ」な商売は紙一重

世の中には「人の弱みにつけこんで…」というような「あこぎ」な商売があると思います。

やせたい、もてたい、人前で堂々としゃべりたい、など、誰もが抱えがちなそうした悩みにフォーカスして、

その悩みに応えるような画期的に思えるサービスを提供するビジネスのことを「コンプレックスビジネス」と呼ぶそうです。

あるいは病気の世界で言えば「末期がんが治る!」なんて広告を打つのも「コンプレックスビジネス」の範疇なのでしょうね。

一方で私もオンライン専門ではあるものの、開業医という名の個人事業主となり、

ビジネスに否が応でも関わらなければならない立場となりました。

そして私が理念においているのは、「患者のあらゆる病気からの卒業」です。その病気の中には当然末期がんも入っています。

ただ私がその方法論として用いているのは「患者の生き方を見直す手伝いをするコーチング」です。

何か画期的な薬を渡してその状況を変えるのではなく、患者自身の思考や行動を変えてもらうことによって成果をあげようとするアプローチです。

そのサービスを提供する時に大事にしているのは「他者貢献感」です。

私は心からその人の役に立つと思える情報や考え方を伝えているつもりです。

けれどそうした私の行動は、はたからみると「他人の弱みつけこんで…」という行為に思われてしまうかもしれません。

ここで思い出すのが、「人によって善悪のものさしは異なる」という事実です。

そうなってくると、誰かに何かを提供するという行為も、ある人からみれば「あこぎ」と感じられ、また別の人からみれば「人助け」に感じられるということがあるという構造が見えてきます。

はたして、どうすれば「あこぎ」ではなく、「人助け」だと思ってもらうことができるのでしょうか

おそらく究極的には100人いて100人が「人助け」だと思ってもらうことは不可能です。世の中の人が100%善だと思うことはありません。

なぜならば「100%善だと思われている人を悪だと思う人」は必ず出てくるからです。

そうすると、一定の人達からは反発されるであろうことを想定しながらも、なるべく多くの人に「人助け」と思ってもらえるようにする工夫が必要になってきます。

せっかく誰かのためを思ってやっていることも、多くの人からあこぎな商売だと思われてしまうことは本意ではないはずです。このことについて考えてみる価値があります。


2.人は何を「あこぎ」と感じるか

そうすると、まず自分であればどんな商売をみた時に「あこぎ」と感じるかを考えてみます。

例えば、私は自由診療によるオンライン診療を専門にしている医師ですが、

同じように自由診療でのオンライン診療で、「糖尿病の注射薬を『やせ薬』と称して遠隔処方する」というクリニックがあります。

確かにその注射薬には食欲を抑える作用があり、結果的に体重が減ると言われています。

ただそのメカニズムにはわからないところも多く、その食欲抑制効果が高じて吐き気などの副作用をもたらすことも3割以上の確率で認められるという薬です。

しかも非常に高い薬なので、保険を使わずに支払うとなれば患者さんの負担はかなり大きくなります。

けれど「やせたい」という欲求は日本全国各地に普遍的に認められる巨大なニーズです。おそらくそれでも使いたいという人は多いことでしょう。

糖尿病の患者さんが使うのであればまだしも、糖尿病でもない患者にそのような人為的に食欲を落とす薬を用いるというやり方は、私には「あこぎ」に感じられます。

けれどやせられないことに苦しむ人にとっては立派な「人助け」に感じられるでしょうし、医者という一般的に信頼度の高いブランドからの情報となれば盲目的に信用してしまうことも多いことでしょう。

ここで「あこぎ」か「人助け」かを判断する一つの要素として「情報の非対称性」が関わっている可能性が挙げられます。

情報の少ない人に、情報を多く持つ人がその情報の都合のよい部分だけをピックアップしていると感じられる時に、人はその行為を「あこぎ」だと感じる可能性があります。

逆に言えば、情報を都合良くピックアップしていることが見抜けなければ「あこぎ」な行為も「人助け」だと感じられてしまうということです。

ということは、「あこぎ」と思われないようにするための第一歩は「完全なる情報の開示」ということが大前提となるでしょう。

一般的にはものすごく高い商品を売りつける商売も「あこぎ」に感じられる傾向があると思いますが、

それは本質的ではないと私は思います。高額な価格設定はそれによって顧客が離れるというリスクを秘めた行為です。

そのリスクを背負ってでも高額設定をして、それでもそのサービスを購入したいと顧客が感じるのであれば、それは外野からとやかく言われる筋合いはないでしょう。

サービスを購入した当人が満足する内容であれば、それは立派に「人助け」になっているだろうと思います。

ところがそのサービスの内容が実質的には効果がないにも関わらず、効果があるかのように思わされているような場合はやはり「あこぎ」ということになると思います。

その意味でサービスを受け取る側が情報を持っているかどうかもさることながら、「そのサービスに対する対価が一般的な感覚からかけ離れて高いかどうか」も「あこぎ」と感じるかどうかを決める大きな要素なのではないかと思います。

いわゆる「常識」的な価値観が関わってくる話ではありますが、

これは常識的な価格が設定されていない領域のサービスにおいては当てはめにくい話なので、

その場合は情報が正当に提供されているかどうか、ということが「あこぎ」かどうかを定める大きな要素になってくると思います。


3.胸を張って「人助け」ができるように

以上を踏まえると、「コンプレックス」にアプローチする手法そのものは「あこぎ」ではないのかもしれません。

要するに「適切な情報提供がなされているサービス」は「人助け」に近づくのではないでしょうか。

でもこの「適切な情報提供」というのが難しいですよね。

今の時代、情報はあふれんばかりにありますし、

どれだけ適切に情報を伝えているつもりでも、相手には意図通りに伝わっていないであろうこともごまんとあります。

なるべく情報が誤解されないようにするためには、「動かしがたい事実」をベースに情報提供することが大事だと思います。

世の中には事実のように見えて、単に誰かの解釈に過ぎないということも多いので注意が必要です。

例えば、「90%以上の顧客満足度」というのは「90%の人に効果がある」ということと同義ではありません。

一方で「90%以上の顧客が満足した」ということ自体は事実には違いありませんが、

その「満足」は顧客の解釈に過ぎず、実際には実質的な効果のない所で顧客の誤解によって生じたかりそめの「事実」である可能性もあると思います。

・・・なんか話がこんがらがってきたかもしれませんね。

私もなるべく多くの人に「人助け」と感じてもらえるように、

誤解につながらない情報発信を今後も突き詰めていきたいと思います。

患者がもっと自由に自分の健康を管理できる新しい医療のカタチを具現化できるように情報発信を頑張っています!宜しければサポートして頂けると励みになります。頂いたサポートはズバリ!私の大きなモチベーションとなります(^_^;)!