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社会貢献なんてできないよって思う正直な人へ

1.正直自分が一番かわいい

「社会貢献」とは聞こえのよい言葉ですが、

どこか綺麗事というか、理想論というか、正直なところ自分のことで精一杯で、社会に貢献している余裕などないと感じられる人も多いかもしれません。

コロナ騒動にまつわって出てきたマスクやトイレットペーパーの買い占めという現象は、

社会に貢献しようという姿勢が容易に崩れ去るものであるということをある意味で示したように思えるものでした。

自分の身の周りのつながりある人達に貢献するというのであればまだしも、

顔も見たことのない、ましてや異国の地に住む人達に対して貢献するなんていうことはどこか遠くて現実味のない話のように思えてしまうかもしれません。

ただ、社会に貢献せず自分のことばかりを考えて行う行動は、巡り巡って自分を苦しめることにつながるという構造は確かにあるように私は思うのです。


2.それでも社会貢献した方がいい理由

例えば、車に乗るという行為に関してもそうですが、

地球のことを考えれば二酸化炭素を発生させないように、あるいは大気汚染に加担しないように車に乗らないという選択肢を考えてもよさそうなものです。

しかしながら、実際には車の持つ便利さにかまけて、そのことは考えないようにしている人が大半でしょう。

あるいは車に乗ることはいつ何時誰かを殺めることにつながるともしれない行為でもあります。

それでも、やはり車に乗ることの便利さを重視して、そのリスクを受け入れているのか、もしくは無意識に考えないようにしているのか、

いずれにしてもやはり選択は自分中心のものになってしまっているように思います。

そういう風に考えるのが普通で、このことは逆に言えば社会に貢献するという発想がどれだけ難しいことかということを表しているようにも思えます。

けれど、その難しさを押してでも、社会に貢献することには大きな意義があるように私は思います。

それは「巡り巡って自分のことを助けてくれることにつながる」ということです。


3.理想の社会貢献へ到達するためには

自分のことを守るなというわけではありません。

自分の人生において自分以上に大切なものはなかなかないと思います。

しかしながらだからといって他人を大事にしなければ、自分が幸せになることなんてできないのです。

そうであるならば、自分も他人も社会も同じように大事に想うことが、自分が幸せになるための唯一の道だと私は思います。

それが難しいということを認識した上で、それでも何か自分にできることを社会に示し続けていくことが、

自分の人生をよりよいものにしていくために大切なことではないかと私は思うのです。

もちろん、あまりに現実味の感じられない社会にいきなり貢献しようだなんて心にもないようなことをする必要はありませんが、

身近な社会に対しての貢献を行いつつも、その先にはすべての人類、社会全体を見据えているとでもいいましょうか。

そのような貢献を繰り返していくことの先に、私達が最も難しいと考える真の「社会貢献」というものがあるのではないかと私は考えた次第です。



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