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周りが「敵」だらけだと感じる時に気づいてもらいたいこと

1.スーパーの半額肉争いでの気づき

朝、近所のスーパーマーケットでは、その日賞味期限が近いお肉が半額になって売り出されているのですが、

肉が好きな私は是非ともそれを大量にゲットしようと多くのお客さん達と並んで回開店と同時に一斉に肉コーナーに向かって、半額肉を取り合うという争いにしばらく参加し続けていました。

近所のおばちゃん達とのまさに熾烈な肉の奪い合い、僅差で取れなかった時は悔しいですし、逆にギリギリで取れた時はおばちゃんから恨み節のような皮肉を言われて傷ついてしまうこともありました。

でも、ある時ふと「肉ではなく魚にしてみればどうか」と思い立ちました。

魚の半額シールが貼られるのは夕方頃だということはわかっていますが、別に何時に貼られると決まっているわけではおそらくありません。

なので、半額の魚目当てに人が立ち並ぶようなこともなく、私は魚を買う時は平常心で買うことができるようになりました。

こんな経験を通じて、私の好きな書家、相田みつを先生が書かれた言葉「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」が、改めて私の心にしみました。


2.何が「敵」だと感じさせているのか

この気持ちの変化を自分なりに分析してみることにします。

半額肉を争っていた時の気持ちは、自分中心の考え方になっています。

自分の肉を何とか確保せねばならないと、そう考えている限り周りの人はすべて「敵」に見えてしまうわけです。

ところが争わない夕方の落ち着いた時間で半額の魚を買いに行くときの私の気持ちは、

もちろん自分の食欲を満たすために魚を買いにいくわけだから、こちらももちろん自分中心の考え方ではあるのですが、

この時周りの人達のことを私は「敵」だとは思っていません。意識の上に登らないと表現した方が正確かもしれません。

そうすると「敵」だと感じる気持ちは一体どこから生まれてくるのか、という疑問がわいてきます。

その条件はまず、「他者を意識すること」にあるのではないでしょうか。

ただし、「他者を意識」すれば即「敵」とみなされるわけでは当然ありません。

他者を「仲間」とか「見方」とか「地球を構成する一員」などとみることも当然できるわけです。

しかし私は半額肉の時に”周りの人は「敵」である”と明確に認識したわけではありません。気がついたらそういう状態になっていたという方が正しいでしょう。

そうすると、どのくらい自分中心になるかという程度が周りを「敵」と思わせたり、「味方(一員)」と思わせたりしているのかもしれません。

強く自分のことを意識すれば、周りへの意識が「敵」化していき、

自分のことを等身大で意識するようになれば、周りへの意識は「味方」化していくという構造です。

これに気づくことができれば無駄な争いを避けるためにどうすればよいかという方向性が見えてきます。

3.「敵」と見てしまう自分の心を整える方法

もしも自分の中に、周りが「敵」に見えてしまう感覚があることに気づいたら、

まず確認してほしいことは、「自分を満たす方法をそれ以外にはないか」ということです。

「上下の軸で考えるのではなく、水平の軸で考える」といってもよいかもしれません。

上下関係で見るから、相手が「敵」に見えてしまうというところがあると思います。

例えばスポーツの大会で周りが「敵」だらけに見える時、意識は自分が上か相手が上かといったところに向いていると思います。

しかし自分は西に進み、相手は北西に進むといった水平関係で見ていけば、自分は自分のできることをやり、相手も相手でできることをやるという考えに至るはずです。

そしてその水平の世界は実は地球のように球形で、誰もがどこかでつながっていると考えることができれば、意識は「仲間」へと向かうはずです。

肉を食べたい人は肉を食べればよい、魚を食べたい人は魚を食べればよい…

それ以上でもそれ以下でもない、ただそれだけの話です。

そう考えることができれば、もうそこにいがみ合いはなくなっていると。

そんな世界を夢見てもいいのではないでしょうか。


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