かわいいは何のためにある?
1. かわいいと感じる目的
ふと散歩中の犬を見たりすると、かわいい〜って感じますね。
犬って、なんてかわいいんだろうって思います。
小犬になるとそのかわいさはひとしおですし、大きい犬であっても、それはそれでのかわいさがあります。
また、仮にかわいいとあまり感じない動物であっても、その赤ちゃんであれば漏れなくかわいく感じます。
このかわいいと感じる感覚……、誰かに教えられたでしょうか?
いや、これは誰に教えてもらった感覚というわけではなく、生まれついてのものでしょう。
第一、はじめて見る動物に対してでさえ、かわいさを感じたりするわけですから。
だとすれば、このかわいいという感覚は何のためにあるのでしょうか。
勿論、それは「相手をいつくしむため」でしょう。
2. かわいいと感じるための条件
とりわけ、この感覚がヒトという種を超えた、他の動物に対しても発揮されているのは特筆すべきことだと思います。
ヒトはヒトの間だけでいつくしみあって集団の結束に役立てようとしているわけではないのです。
きっと全ての動物達に対してそのような力を発揮するような仕組みがデフォルトで組み込まれているのだと思います。
もっと言えば、植物に対してでさえ、この「相手をいつくしむ」という感覚は自然と生まれてくると思います。
そうすると地球上すべての生物、もっと言えば地球そのものをいつくしむように私達の身体はできているのではないでしょうか。
「人類皆兄弟」の感覚に向けて、この仕組みの存在は心強いわけですが、現実はそう甘くありません。
動物達の縄張り争いだとか、自然界の中には弱肉強食を感じずにはいられない異なる種の動物間での争い、奪い合いもあるではないかと。
「天敵」なる存在も、動物どうしが争っている証拠でしょう。動物は必ずしも他の動物に対して「いつくしみ」を感じてはいないようです。
なぜ争い合うのかと言えば、「生きるのに必死だから」だと思います。
相手と争い合ってでも食糧を手に入れなければその日を生きていけないような精神状態、つまり余裕がないのです。
ここで、はっと気づかされます。私達が動植物に対してかわいいと感じるのは、いつも余裕があるときではないだろうかと。
つまり「自分に余裕がある時でないと、相手をいつくしむことなんでできない」ということです。
考えてみましょう。もしも自分がその日食べるものもなくてお金もなく、非常に飢えているような時に動物をいつくしむ感情は生まれるだろうかと。
究極的には本当にその立場になった時にしかわからないと思いますが、
おそらく「いつくしみ」どころか、「憎しみ」の気持ちで動物を眺めるであろうことは想像がつきます。
「いつくしみ」は何もなくても勝手に生じて来るような類のものではなく、
極めて人為的で、自分の心の有り様によってその運命が左右される感情なのではないでしょうか。
3. 自分に対してかわいいと思うのはどうなのか
ところで私達は、自分自身に対してかわいいと思うものでしょうか。
女性を中心にそういう人はいるにはいると思うのですが、私としては「自分に対してかわいいと感じる気持ち」と「他人(他者)に対してかわいいと感じる気持ち」は異質のものではないかと思うのです。
自己肯定感はあった方がいいとも聞きますので、自分を認める行為は大事だと思います。ただそれはかわいいという感覚に通じるかと言われたら違和感があります。
精神疾患の中に「自己愛型パーソナリティ障害」という疾患概念があります。
これは簡単に言うと、「自分への愛情が強すぎて他者を軽蔑したり、悪意を持って批判したりと歪んだ感情が表出されてしまう性格傾向」のことです。
これでは他人をいつくしむ感覚からは明らかにかけ離れてしまっています。
おそらく、他人をいつくしむのと同じように自分をいつくしんでしまうのはほどほどにしておかないと、
このような歪みへとつながりうるという構造はあるのかもしれません。
多分自分へのいつくしみが大きすぎると、他人へのいつくしみの感覚が薄まってしまうのだと思うのですよね。
それだと「人類皆兄弟」的な感覚からは遠ざかってしまいますので。
まとめますと、「かわいいは他者をいつくしむためのデフォルトシステム。自分の安定したゆとりの上に成り立つシステム。他者に対してはふんだんに、自分に対してはほどほどに」といったところでしょうかね。
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