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ノーコードを使う人、つくる人

ノーコードがめっちゃ浸透してきましたね。サイト系だと、Studio、Wix。アプリもAdaloやBubble、Yappli。ECもShopify、BASE。データベースもAirtable、Notionとか。便利ですよね。とりあえず使い方さえ学べば用意されているものでスタートできるのがいいところです。

こうやってノーコードが発展してくると、コード書いたことがないけどプロダクトを作ったことがある人が出てきます。むかし僕がAdaloで作ったiDIDのアプリのプロトタイプ。Adaloがまだデータベースの読み込みがイマイチだったり、UIの挙動がおかしかったり、モバイルブラウザ対応が中途半端だったりしましたが、そこさえ除けばコードを書かずにプロダクト的な機能とロジックは満たしたものができたと思います。もう少し踏み込めばAirtableと連携してDBの登録や編集も簡単になったはず。なので、全くコード書いたことない人でもプロダクト作れるしサービスも作れちゃう、というのがわりと遠くない未来にありそうです。

一方で、一定レベルで標準化されたプラットフォームでは「特別なことができない」という事象も発生します。なので、どこかテンプレっぽくなるし、特化型のプロダクトも作りづらくなる。CMSやSNSで投稿することにある程度慣れているみなさんなら分かると思いますが、制約条件化にあるからこそ機能がシンプルになります。

じゃあ、オーダーメイドで何かしたい、ってなったらどうするか?

つくるんです。つくればいいんです。ここが激アツなポイントです。デジタルの世界では、リアルの世界より比較的簡単に「つくれる」のがいいところ。世界共通のプロクラム言語があって、パソコン環境もあって、インターネットでリファレンスもある。これがもしラーメンだとしたら、小麦・卵・水・豚・魚・メンマ・もやし……って。ガチで作ろうとしたら耕す土地から探さないといけないじゃん!TOKIO〜!ってなりますよね?素材まではあったとしても素材の中身まで踏み込めないじゃん。でも、デジタルの世界は結構いける。もちろん言語そのものからとなると大変だけど、相当いけると思う。ここ作り手としてはアツいところですね。根本的なところまでリーチできちゃうのは面白い。そういう専門領域をさくっとショートカットして汎用化させてインスタントになったのがノーコードです。だから、つくったものの表面上のできる・できないを言うのは正確ではなくて、出来合いの惣菜を組み合わせたり、カップ麺を料理と呼ぶかみたいな話です。(カップ麺は最高・否定してません)

ノーコードとはいえ、受け手にとっては、そんなの関係ないときがある。それカップ麺ですよ?って言っても、「え、そうなの?うまいじゃん」ということも起こる。一方で、とにかく手間暇かけて最高の一杯を、ってこともある。状況による。

ちなみに、ノーコードでプロトアプリを作った経験からすると、コードは書かないにしてもちょっとは構造が分かってないと扱えない。挙動の整合性などもある程度分かってないとすごく手間がかかる。コードを書く必要はなくとも、習得にはそれなりの時間がかかる。だから使い所は大事だし、将来性も含めて選択のスキルが求められていく。

あ、えーと、何が言いたかったかというと、ノーコードも使えるのは全然良いし知っていた方が状況による選択肢が増える、でも、つくれる側でいたいよね!ということです。


本コラムは、アジアを中心に展開するデザイン&テックカンパニー「フォーデジット」の社内報にて連載中のものを抜粋して掲載しています。

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