見出し画像

したい事をしている(ビジョンを達成している・育つ (4))

本日④同じ過ちを繰り返しているについて

コピー (2) ~ CCF20100512_00000

考えてみるとなんだか同じようなところでつまずいている。 と感じている   もしくは そこに気が付いていない。 結局ダメなんだよなあ…と諦める癖付いてしまう。

それはひょっとしたら「自分は正しい」と思ってやっているからです。   夫婦喧嘩の小さなことのきっかけも「私は正しいと思ってやっている」と妻は言う。夫も「俺は正しいと思ってやっている」というどちらも正しいと思ってやっているのです。

もちろんそうでなければ 迷ったり間違っていることをしようとする人はおかしいですよね。正しいと思ってするんだけどそれは周りにとってはどうかなということです。

よく考えてみてください。自分が正しいと主張するとき、たいてい     《相手が悪い》もしくは《相手が間違っている》ということになっているのではないでしょうか?

もしくは自分が正しくて世の中(会社・置かれた環境など)が間違っているとおもってはいませんか~?他者・環境などが悪いとか間違っているとか思って何々が悪いとかしてくれないとか。

自分の非を認める事をしていないのではないでしょうかね~?

人格を否定しているのではなく《非》です。人間ですから完璧でないしそこを認める、正しさを手放すそんなセンスです。

そのうえで今の人間関係を見てみると何かしら気が付くこともあるんです。

それを相手が悪い・間違っていると主張している、主張しなくてもそう思っていると見えるものも見えないのです。「あーわるかったなあ~」「気づ付けるつもりはなかったけど、あなたがそういうならあなたにとって大変だことをしたんだな。許してくれるかな」など。そんな対話ができると前に進むこともあるし、信頼関係も再構築できると思うんですよね。

何ごともやりっぱなしはどうでしょう? バスを降りる時座席を振り返る一つの 手間をかけることで忘れ物・落とし物なくすことができるのですから 人生の落とし物・無くしものは最小限度にしたいですね。

私はどちらかというと 子育て中早く早く、急いで急いでと生活してきたので何度も失敗してそれから 同じ失敗の時にどうしてなのかなーと考えるようになりました。

大事な事はうまく行かない時も うまく行った時もどちらもするといいんです。例えば準備をしっかりして臨むとうまく行った。席を立つとき座っていた周りを確認して立ちさる。うっかりミスが減ったんです。

うっかりミスのためにまた時間を使うことは無駄ですもんね。

兎に角自分の人生を代わりを生きてくれる人はいません。でもこれに気が付かないんです。自分の人生を生きず、夫やこどもや・両親の人生を生きている人が 本当にとても多いと感じるので残念です。

自己中になれっていうのではないけれど自分の身体や時間など出来るだけ大事になさってください。

だって、私自身25歳まで両親のために生きて50歳まで夫のために生きて…

そこで考えたのが、75歳までは自分のために学んだり楽しもうって。案外遠慮していたんです。そして75~100までは社会に何か奉仕というか還元出来たらいいなと思っています。そして125歳までは縁側で庭を観ながらお茶飲んで 話を聴いてほしい人の話を聴き 料理・手芸・読書 などしながら過ごしていくと計画を練っています。その根本には健康でいるための日々の自分に対する気遣い。人が寄ってきてくださるための脳の活性化とジョーク。私は自分も人も健康にするからです。

これらは失敗して来た、うまく行かなかったことから。うまく行ったことを振り返って自分なりの人生が充実し愉しくなるコツだと思っているのです。ぜひ非を認め、いいところも認め振り返り 自分を育てる、ビジョンを育ててくださいね。

(婆ちゃんからの遺言?いやまだまだ私は活き活き生きまっせ~)

        


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?