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セカンド・ヴァージンⅡ

  ~ 真昼の情事 (前編)~ 

駅であって、ホテルに行くまで
手を繋いでくれたんです
でも、帰りは手を繋ぐどころか
顔すら見てもくれなくて・・・・
なんだか、
手を繋ぐことすら前戯だったのかと思った

夫は妻に先立たれ、私との結婚は単に自分の子どもの面倒を見てもらう家政婦代わりのようなものだった。

だったら家政婦を雇えばいい…最初はそう思ったのだが、当時、名前を聞けば「あぁ」と解ってしまうような名の通った企業で、それなりの地位に就き部下を従えている手前、そういう体裁が大事なのだと知ったのは、結婚後しばらくして部下の仲人をした時だった。
なるほど、ここにはまだそういう上下関係が有効なのだ。
「奥さん、ホントに料理上手ですね」
そして部下が上司の家を訪れるという、一昔前のアットホームドラマのような現実も、夫の周りには存在していた。

奥さん…そう呼ばれながらも、なぜか夫婦としての実感がない。後妻、だからだろうか。

前の奥さんとは死別だと聞いている。子どもたちも低学年で物事が解る年頃だったわりにはトラブルもなく、うまくいっていた。それは夫の厳格さがそうさせていたのかもしれない。だが成人した彼らは私を「おかあさん」とは呼ばずに「世喜子さん」と呼ぶようになった。それは年頃の子どもが気恥ずかしさから「おふくろ」と呼ぶのとはまた違う。そこにもまた「溝」というよりは、見えない川が流れているような近づけない距離があった。

夫との間に子どもは作らなかった。夫は「作ってもいい」と言ってくれたが、20代前半で突然にふたりの小学生の子持ちになり、とても自分の子どもを持とうとは思えなかった。

夫とは10歳以上年が離れていた。出会った当初、詳しい年齢を聞かされてはいなかったので、そのままやり過ごした。聞いたところで私に選択権があるとは思えなかったからだ。
大学を卒業してそのまま都会に就職したが上司と不倫関係になり、会社にいられなくなった私は、逃げるように田舎に帰った。だが、そんな娘を噂好きな狭い田舎に、ただおいてくれるほど私の両親も世間体に強くなかった。追い立てられるように見合いをさせられ、結果今の夫のもとに嫁がされたということだ。

女ってなんだろう・・・・

幸い夫は育ちがよくエリートと呼ばれるレールの上を走っており、私の結婚は身内的には大義を果たしたような形になった。当然、離婚は許されない。
将来が安泰なら、手塩にかけたであろう娘を、自分たちとそれほど年の変わりないバツイチ子持ちの男のもとへ嫁にやってもなんの負い目も感じないのだろうか。それでも幸せだと思えるのだろうか。それが幸せなのだろうか。
私の両親は、私が幸せを感じていると本気で思っているのだろうか。
まぁ、経済面のみに焦点を置くならば、不幸ではない。だが。

当然に夜の営みは、結婚後数年で致されなくなった。
最初は小さい子どもがいるからだと、自分を納得させられる理由をこじつけていた。しかし、職務上外で食事をとることが多い夫は、寝室まで行きつかずにリビングで仮眠をとることが多くなり、広い夫婦の寝室はまるで貸し切りのコテージの一室のように隔離閑散としていた。

「仕事で疲れて帰っても、若い奥さんがいると思うと疲れも吹っ飛ぶでしょう」
上司をヨイショするにあたり、プライベートで仕事の話をするのはセンスなしと勘ぐれば、自ずと子どもを褒めるか妻を羨むかしかないのだろう。
「それとも、帰ってからもっと疲れちゃうのかなぁ?」
私は馬鹿ではない。
口先とは裏腹に、決して笑ってはいない目で、無粋な部下になにを言われようとも微笑みを称え、夫の望む貞淑な妻を貫く精神は持ち合わせていた。その裏で、そう思うなら「さっさと帰れ」と、数年前までは本気でそう心で舌打ちしていたが、意外と慣れてしまえばそんなものだと思えてくるから不思議だ。

子どもがいてくれてよかった。だがその子どもたちもそれぞれに巣立っていく時が来る。あと数年もすれば夫も役目を終えてただの人になるのだ。そうなったとき、果たして夫は、寝室で寝るようになるのだろうか。定年を迎えたあと、歳を取ったとはいえ、決して衰えてはいない熱いものを未だ持て余している自分より多感な妻を抱けるのだろうか。
このまま、この生活は孫の子守りにスライドされるだけではないのか。そう思ったら、ちりちりと下腹部を刺すような痛みに襲われた。

このまま終わってしまっていいのか・・・・

親しい友人は近くにはいなかったが、かつての同僚とは時折連絡を取り合っていた。彼女はまた、男にブランドを求めるタイプで、当時も将来性という甘い汁を求めて虎視眈々と獲物を物色するように身を屈めて生きてきた。いわゆる「勝ち組」という言葉に敏感な人だった。たちが悪いのは、私を自分の同胞だと思っているらしいところだった。
『ひさしぶり~。あたしよ、ふみえ』
ある時そんな彼女からの電話で、
『ねぇ、楽しんでる? 声、暗いけど』
「そんなこと…楽しむもなにも」
正直、私は彼女が苦手だった。それでも付き合いをやめられなかったのは、
『ちょっと出てこない? 子どもも大学生になったし、別に忙しくもないんでしょう?』
時々こうして、私を外の世界に連れ出してくれるからだった。

久しぶりに会う彼女〈ふみえ〉は以前より、幾分派手で、若い男を連れていた。そして、
「こちら世喜子さん。彼、私が経営してるサロンのれんげくん」
今流行りのオープンカフェを指定してきた彼女は、そのせいかなんだか若々しくなっていた。
「さろん? れんげ…?」
「そう。みんな花の名前つけてるの。おばさま方のために」
「おば様…って」
「利益だけで結婚をしてつまらない人生まっしぐらのおばさま方。いずれあたしたちもたどる道…。まぁ、いわゆる昼ホストよ」
「ホスト…?」
「下手に名前で呼んじゃうと、うっかり日常生活でバレないとも限らないでしょ。だからみ~んな花の名前つけてるの…さくら、すみれ、ぼたんにあやめ、すずらんってね。このコはれんげ」
彼女が言うには、家庭に縛られて出かけられない富裕層の奥様方の、買い物時間の2時間程度~を目安にエスコートしてくれるホストなのだという。

れんげと紹介された彼は、別段派手な服装でも特別イケメンなわけでもなく、ごく普通のちょっとおしゃれな男の子という感じを受けた。
だが少し…?
「家に呼んでもいいし、外で会ってもいいし、ホテルにしけこんでも…」
「そういうのって、法的に引っかからないの?」
「知らない。でも、いい商売でしょ。…あなた、彼どう?」
「どうって?」
「あなたの好み解らないし、特別大恋愛で結婚したわけでもないから、旦那似のコ見繕ったつもりなんだけど…」
そうだ。確かに、余計なことを言わなそうな物静かなところが、どことなく夫に似てるのだ。若かったなら、こんな風だろうか…だからなんだというのだ。私には縁のない男だ。
「意味、解らないけど?」
「彼、貸したげる」
「え?」
正直、心がざわついた。
「まさかと思ったんだけど、家政婦同然で結婚しといて、旦那様に操を立ててるなんてありえない…。あなた、女捨てたの?」
「そんなこと言ったって、常識的に…」
「常識? 常識ってなに? 世喜子さん、そもそもしあわせなの、あなた」
「それは…でもそういうものじゃないでしょ」
「そうよ。そういうものじゃないわよ、女のしあわせは」
「女のしあわせ…」

女のしあわせって、なに?

おかしな提案をされていることは解っているが、どこか胸躍る自分がいる。だからと言って「御親切にありがとう」という問題ではない。
「それなら世喜子。あなた旦那とセックスしてるわけ? その化粧っ気のない顔、とてもそんな風に見えないけど…」
「こんなところでなにいうの?」
ついきょろきょろとしてしまう。
「だれも聞いちゃいないわよ。自分のことで精一杯なんだから」
彼女は手を翻して辺りを見回す。
確かに、こんなところで他人の話に聞き耳をたてる者はいないだろう。「自分のことで精いっぱい」…私は、自分のためになにをしただろう? なにかあっただろうか。
なにも言い返せなかった。
「このコたち、そっちのつきあいも兼ねてるのよ。当然お金取ってるけど…あなたは私の唯一の友達だから、無償で貸したげる。このコたちもお金がないわけじゃないの。退屈しのぎなのよ、お互い」
そう言って彼女は立ち上がった。
「ちょ…っ。待って」
「社会勉強だと思って。実はね、あたしも待ち合わせてんの。あたしのお気に入りはね、かりんよ」
そう言って彼女は「れんげ」を残して、意気揚々と去って行った。
「これからどうしますか?」
れんげが静かにものをいう。
「れんげさん…」
「はい」
「あ、あの…。失礼します」
なにもできるわけがない。彼には悪いが、私は早々にその場を後にした。

当然のことながら、翌日ふみえから電話がかかってきた。
『もう~世喜子さん。がっかりさせないでよ』
「ごめんなさい。お金も払わずに帰ってしまって…」
『そういうことじゃないわよ』
「だって、急に初対面の人とふたりきりにさせられても…」
『ちょっちょっちょ…気をつけなさい、世喜子。れんげよ、れんげ。あくまでもお花の話なのよ、これは』
「なに言って…」
『近くにだれもいないの? 主婦にはNGワードがたくさんあるんだから。今の生活、満足してなくてもいらないわけじゃないでしょ』
「そりゃ…」
『彼、その気だったのに』
「え…?」
『そうよ、彼、楽しみにしてたのに』
「そんなこと言われても」
『もったいないと思わない? 自分の生活に満足してるなら、別にいいけど、とてもそんな風には見えなかったから』
本音では確かに「このまま終わりたくない」気持ちがないわけではなかった。
「でも、やっぱり気が咎めるわ」
『別にバレやしないわ。だれだってやってることよ、知らないだけで』
だれだって…?
本当にそうだろうか。確かに、そういう話を聞かないわけじゃない。だが、自分の周りにはそんな人はいない。
『その気がないわけじゃないんでしょ? それとも旦那に悪いと思ってる? 旦那だって解らないわよ。あなた、経験者じゃない』
「そんな…」
自分とは違う世界の話だと思っていた。だが、知らないだけで、実はいるのかもしれない。わざわざそんな話、自慢げに話す人なんていないのだ。
経験者…確かに私は、過去、人に言えないことをした・・・・
「でも…」
『まぁ、いいわ。その気になったら連絡して。れんげが気に入らなきゃ、他の子でもいいわよ』
そんなの、あり得ないと思った。



まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します