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・・・・のような、恋

私はよく、大きな仕事をやり遂げたあとや、大型連休の初日など、とにかくたっぷりと眠りたい時に温泉施設を利用していた。

そこは、通勤途中の駅裏に土蔵造りの大きな建物が背を向けて建っていて、いつもなんの建物なのか気になっていた場所。造り酒屋にしては場所的に違和感があるし、居酒屋では大きすぎる。いつか正面玄関に立ってみたいと思っていた建物のひとつだった。

店主の心配りだろうか、土蔵の周りにはわずかばかりの竹林が施され、入り口までは不揃いな石畳が続いていた。まるでここだけ時代を忘れてしまったかのように、おぼろげな灯りが人を拒んでいるようにも見え、そのせいか他の客に出くわすことがなかった。
暖簾をくぐったら、猫の耳と長いヒゲを生やした目の大きな華奢な女の子が出てくるんじゃないか…と想像していたが、店の中には法被を着た威勢のいい女性が3人いるだけだった。

とにかくそこは、静かで風情のある落ち着いた場所だったのだ・・・・


連休初日はいつも人が少ない。
ゆったりと温泉に癒され、サウナでひと眠りする…それがここ最近の至福の楽しみ。ここのサウナは暑くもなく寒くもなく、程よく汗もかけて、なによりサウナ独特の匂いがしないのでよく眠れるのだ。

炭酸泉で身体をほぐし、低温の岩盤浴に入るのが最近のお気に入りだった。
サウナは温泉に隣接しており男女別だったが、岩盤浴は入口こそ分かれているが中は簾で細かく仕切られているだけの空間だった。だが、薄暗いのと寝床が参列に分かれているので、そうそう男性と隣り合わせになることもなかった。

(やっぱり今日は少ない…と、言うより、だれもいない)

こんなに広くて快適な空間、客がつかないわけがないのに、わたしの運がいいだけかしら…文庫本を持ち込み、ようやっとうとうととして来た頃、男性用の入り口のドアが開く音がした。

(珍しい…ここで男の人に会うの初めてかもしれない)

男性…そう思ったら、うっかり転寝していびきでもかいたら恥ずかしい…と急に緊張感に襲われ眠れなくなってしまった。

したたか汗をかいて2度、3度、10分程度の休憩をはさみながら気だるい時間を過ごした。時折、水分補給に冷却所に出ると隣の男性用の冷却所から咳払いが聞こえ、なんだか待ち合わせをしたカップルのようだ…などと古いフォークソングを想像しては自分の妄想に笑えた。

ガラリ…
冷却所のドアを開けて廊下に出ると、ちょうど向こうも出てきたところだった。
「あ…」
なんとなく目が合ってしまい、気まずい空気。汗だくで髪も乱れた姿を、見ず知らずのひととはいえ男性に見られるのはやはり恥ずかしいものだ。しかも、脱衣所までは男性用入り口の前を横切らずには階下に出られない。かといって、彼がいなくなるまでここに立ち止まるわけにもいかず、歩みだした歩を不自然に止めることもできずに、俯いて足早にすり抜けようとした。その時、

「この後、お食事でもいかがですか?」
「えっ!?」
耳を疑った。思わず彼を仰ぎみた。

わたしに話しかけたわけじゃないかもしれないのに…

だが、周りにはだれもいない。

自分より少し年上のその彼は涼やかに微笑んだ。
「玄関先でお待ちしております」
そう言って呆けた私を置いて彼は階段を昇って行った。

(わたしに、言った…?)

この後、お食事でも…と言ったのか。聞き違いだろうか、でも「お待ちしております」と言ったではないか…。

どうしよう・・・・

とぼとぼと歩き出す。
初対面なのに? ナンパ? いまどき? マジ?
どうすんのよ? 待ってるって言ってた。
頭の中はにわかパニック状態だ。

別に焦らすつもりもない。が、いや、それより本当に待っているかもわからないが、いつもより少し時間をかけて髪を乾かした。そして、化粧をするか迷った。
いつもならすっぴんのままさっさとタクシーで帰るところなのだが、さすがに「食事でも…」と誘われておきながらすっぴんで出ていくのもどうなのだろう。しかし、ふろ上がりにばっちりメイクを施して出ていくのも、いかにも「期待してます」感満載で、それもどうなのだろう。
いや、いやいや、そもそも待っているかもわからないのだ…と、何度も何度も頭の中で打ち消しては悩み、打ち消してはうろたえた。だが、混乱しながらも少しときめきを感じてしまっている自分だけがいちばん正直だと思った。

どうしよう・・・・

出口に向かう足が重い。いつもならすっきりとしてあとはベッドに身体をうずめるだけの時間のはずなのに…。時計はまもなく22時になろうとしている。そうだ、こんな時間から食事もどうなのだ!?
いったいどういうつもりで誘ってきたのか。からかわれただけだろうか、多分そうだろう。こんなに待たせているのだ、きっと、もういない。

「ありがとうございました」
岩盤浴用の浴衣を返却し、下駄箱のカギを受け取る。
いつも通りニコリとだけ返して、下駄箱に向かう。

(なんだ…やっぱりいないじゃない)
ほっとした半面「つまらない」と思っている自分がいる。からかわれただけなのだ。こんなドラマのような出会い、あるはずもない。なのに…タクシーを頼まずに出てきてしまった。

「気を付けてお帰りくださいませ~」
若い女性の声を背に、玄関ドアを出ると、そのあるはずもない出会いは煙草を燻らせながら待っていた。

(嘘…。すっぴんできちゃったよ…)
本当に誘われたんだ、私。
なにを考えているのだ。断ればいいではないか…そう思った瞬間、受付でタクシーを呼ばなかったことを思い出す。いつも通りの行動ができていない。
(やだ、期待してる…?)

「やぁ…」
まるで知り合いのように挨拶をするその彼は、自分が思っていたより少し年上のようだった。
本気で食事に行く気かしら…と、動けずに固まっていると「どう? いける?」と言って煙草の火を消した。
「私たち、初対面ですよね…?」
本当は知り合いだったのだろうか…と誤解するほどに、彼の仕草は自然で、突飛な申し出にもかかわらずいやな感じはしなかった。
だが彼は、こちらの質問には答えず「すっぴんだね」と言った。
「え、だって、お風呂上がりだし…」
(本当に待ってるとも思わなかったから…)
すっぴんを選択したことに激しく後悔した。
「うん。いいよ。もし化粧して出てこられたら、このまま帰ろうと思ってた」
そう言われて、こちらはなんと答えれば正解だったのだろう。
「じゃぁいこうか」
彼は私の手を引き歩き出す。
「あの…」
「ん?」
(断る権利は…ない、の、ね…)
「いえ…」
ただ黙って歩いた。

「食事…この時間だと、ファミレスくらいしか…」
手を引かれながら、どこに連れていかれるのか解らないまま、でも沈黙はつらくて、食事をする気もないのにそう言った。
「そうだね。お腹空いてる?」
「だって、食事って…」
「そうだね。でもそれは口実だから」
「口実?」
「あの場で誘うのに、適当な言葉がなかった」
やっぱり、そういうことだよね。
「確かに…」
「明日から連休なのに、このままだれもいない部屋に帰るのかと思ったら、君を見かけた」
「行き当たりばったり、なんだ…」
ちょっとだけ落ち込んで、ほっとした。
「ごめん。送るよ」
「どこに?」
「え?」
「私もだれもいない部屋に帰るのよ。この際、どこに送られても同じだわ」
自分でも大胆だと思う。だが、ここまで手を引かれてこのままひとりで返されるのは理不尽だと思ってしまった。

「私、ウォーターベッドに寝てみたいと思っていたの」
そう言ってひかれていた手を彼の腕に絡めた。
「今時、ウォーターベッドはないんじゃない?」
「そう? なら、泡風呂だけで我慢する。よく海外ドラマなんかで見る、ろうそくに囲まれたバブルバス…憧れてたの」
「へぇ、女のひとってそういうのに憧れるんだ」
「そうよ…」
この時点で二人の行き先はファミリーレストランでも食事でもなくなった。




まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します