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自己紹介

近藤 妙子(こんどう たえこ)

性格/おせっかい•明るい•努力家•感覚派
好き/自然(滝•山)•一人旅・カラオケ•ダイビング•動物
KAWARAYA CAFE/Nail’s AMoA代表
ネイリスト歴19年/サロンオーナー13年
シングルマザー/息子

NAILS UNIQUE名古屋校→NAILS UNIQUE OF JAPAN勤務’01〜’04→
NAIL PLANET運営’04〜’14→Singapore•Malaysia’14〜’17→
関東→Nail’s AMoA・KAWARAYA CAFE’18〜現在

〜活動の流れ〜
22歳でネイリストになり店舗を開店させる事を決意、すぐに働きながらネイルスクール(NAILS UNIQUE名古屋校)に通い、1ヶ月でネイリスト機能検定試験2級合格、半年後に同試験1級に合格、最速でネイリストデビューする運びとなり、業界最大NAILS UNIQUE OF JAPANの名鉄百貨店にて勤務スタートしました。
世界ネイリストランキング1位のトムホルコム氏や他上位技術の方々の直接指導を受けられる恵まれた環境の中、ネイリストとしてのサロンワークに必要な知識と技術と接客をスポンジのように吸収しました。
自身のネイリストとしての自信が付き、あとは自身のサロンで経験を積み成長して行けば良いと判断した所で退職。
26歳半田市桐ヶ丘に路面店舗「NAIL PLANET」をオープンし、とてもやり甲斐のある幸せな日々を経験させていただきました。
オープンから6年程たった辺りから居心地が良い店で、大好きなお客様とスタッフの中で緊張感なく働いている自分に疑問が湧き出しました。
当時の環境では自身の出来ることは全て出し切り、このステージでは全てやり切った為、自身の成長は無いと感じ、何か新しいチャレンジがしたいと4年間悩みに悩み、大好きな店を閉め海外に行こうと決めました。
性格的に不器用な私は、サロンを継続しチャレンジするという判断は当時、難しい選択でした。
元々、海外願望(世界を広げたい)のあった私は、決めたら即行動。
もちろん、当時小学1年生の息子も連れて行くつもりです。
その結果シンガポールでの仕事の話をいただきました。
シンガポール在住の中国の方が美容の会社を設立する為、ネイルの部門を任せたいとのお話でした。
自身でも出資し、役員の立場としての話であった為、ある程度ネイルに関して自身の望む仕事ができると思い、有り難くお受けしました。

そしてシンガポールに渡りました!と言いたいのですが、そんなに上手くは進みませんでした。
パートナーになる方は悪い方ではなかったのですが、話し合いも無く色々な事が勝手に決まってしまう状況で、気が付けば新しいサロンの名前や息子の通う学校まで決まっていて、相談させてもらえない状況であった為、今後の生活と仕事が自身の決断で進む事が出来ないのだと悟り、大変悩みましたが仕事の話自体をお断りしました。
そこからが大冒険です。すでに航空券も取っており、サロンの閉店も決まっている状況からの物語は、長くなってしまう為、また機会があれば。

そんなこんなで、海外での生活を2年ほど経験し、さらに経験を珪藻土の如く吸収し帰国しました。
海外の生活で、自分の固定観念に気が付き柔軟になった私は、日本に帰ったらネイル以外の事もやってみたいと考えていたため、自身の幅を広げるようと異業種である飲食を学ぶ為、東京青山のイタリアンレストランにて働かせていただき勉強をさせていただきました。
その後地元に戻り、‘18〜空間シェア型店舗「Nail’s AMoA」と「KAWARAYA CAFE」をオープンさせ現在に至ります。

〜チャレンジの動機〜
私はお金儲け自体には興味がありません。
お金ががんばりの原動力にならないのです。
いわゆるビジネスセミナーなどの「成功するためには!」みたいなものや、成功・失敗の概念自体興味がありません。
楽しそうでワクワクすること、人が喜びそうなこと、自分の興味、やってみたいがやる気になり、やりがいを感じます。
その価値観のみで人生の前半を生きました。
今でも根本的にお金を目標に出来ない事は変わりませんが、貴重な海外生活で大切な事に気がつきました。
海外で生活をしていた時、私は沢山の外国人の友達を作りました。
マレーシア人、シンガポール人、パキスタン人、中国人、韓国人、フィリピン人、ミャンマー人、シリア人。
ミャンマー、シリアに至っては難民です。
シリアは戦場、戦火の中命からがら亡命して来たそうです。
隣で立っていた友達が、突然銃で撃たれ逃げるしか無かった話や、お金を払い小さな小さなボートにギュウギュウに詰め込まれ、海を渡った話。途中何人も亡くなられるそうです。
そんな難民の方ってどういう人だと思いますか?
可哀想な弱者?見下しても良い存在?同情する相手?
全然違う。同じ人間です。しかも強くて優しい、尊敬できるところが多くあります。ただ、環境が壮絶である為、金銭的な力はありません。
パキスタン女性の友人は、前夫からの非情な虐待を受け命を守る為、海外へ逃げて来ていました。日本では海外に逃げなくても。。となるのですが、パキスタンはとても強いイスラム教の国、男尊女卑による女性への差別、虐待がひどく、
さらに一度嫁に行った娘が実家に帰るなど許されない。
女性は道具か奴隷という感覚なのだそう。
友人の家はお父様が国を代表するような立場のある方故、国から出る事になったとの事。
そんな話を聞き、私は自分がいかに恵まれているか、日本という国がどれだけ素晴らしい国かを知り、今までの自分を恥ずかしくさえ感じました。
彼らに必要なのは、生きる場所です。私は自分の力の無さを痛感しました。
私は自分の事しか考えていなかったので、お金に興味が無かったのだと気づきました。
彼らの居場所はお金だけで解決出来ないかもしれませんが、お金が無ければ話になりません。
お金=贅沢・名誉にするも、お金=助け・可能性にするも自分次第では無いかと。
あまり上手く説明できませんが、現在進行形で色々勉強中です‼︎
人の役に立つためには、自身の成長が必要‼︎ 私らしくがんばります。
よろしくお願いいたします!

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