「神に追われて〜沖縄の憑依民族学」谷川健一著を読んで
民族学者である、谷川健一著『神に追われて〜沖縄の憑依民族学』を、一気読みした。
民族学者である柳田國男と谷川健一との対比よりも先に、遠野の神々を敬い愛した佐々木喜善と、アイヌの神々の詩を書き残した知里幸枝のことを思った。
神に選ばれ、神と婚姻し、神を受け入れ、神となる宮古島の女性たちの壮絶極まりない人生もさることながら、自然と人間との共存の中で生まれるであろう宮古島の『神』と『信仰』、その風習が、森林の激減とともに危うくなっていく下りを読んだとき、言いようもなく泣いてしまった。
私が26歳当時、故郷岩手県宮古市旧下閉伊郡、ちょうど神山早池峰山のふもとのあたりには、言葉を持たぬ人々の集落があった。
精霊と一緒に暮らしており、デイダラボッチに守護され自然の中での営みをしていた。
聖地、デンデラ野が、そもそも本当はどこにあるかと言う解釈は、佐々木喜善の生家跡であるとか、デンデラ野と言う場所が遠野にあるとか、いろいろと聞いて尋ね歩いたが、早池峰山で働く人に途中までトラックで乗せてもらって行った先、川井村から、狭い林道を通って3時間ほどの森の中、そこからは、徒歩で2時間ほど歩いたが、この、言葉を持たない人々の集落がデンデラ野だとトラックで送ってくれた人に聞かされた。
沖縄の話から、いきなり遠野や早池峰山、旧下閉伊郡と、話しが岩手県に飛んだが、私がなじみ深い神と言ったらやはり地元の神なのでご容赦願いたい。
私は26歳当時、寝袋とリュックを担いで、遠野の能傳坊神社に2ヶ月間寝泊まりし、そこを拠点に遠野の神々や旧下閉伊郡の神々を巡った。
その少し前、遠野の『神さま』である老婆の元に長いこと居候して、神の術を学んだ友人に連れられ、私は能傳坊神社を訪れた。
その折、祀ってある墓石から能傳坊さまが現れ、私に手招きをした。
私はたちまち恋におち、下半身から出血をした。
その出血は、私が再び能傳坊神社を訪れ、そこで寝泊まりし、2ヶ月ちょっとかけて、神社の横の猿が沢金山と小友町の天保十年の大飢饉に至るまでの取材を終えて町の産婦人科に行き、『4ヶ月の胎児と同じ血の塊が子宮の中にできている』とのことで堕胎する薬を飲み、血の塊を出産するまで止まらなかった。
能傳坊さまに出会ったその晩、私は宿でサラシを縫って襦袢を作り一面に『昆』と言う文字を所せましと筆書きし、それを着用して、翌日また友達に神社へ連れて行ってもらい、墓石の前でサバイバルナイフで体を切り、血液を襦袢に塗りつけたのだった。
お酒とその襦袢を奉納して、一旦東京へ帰り、数日後から1人で神社に寝泊まりし、その間毎日掃除して祀られている墓石に酒をかかさず垂らし民謡を歌い、それからご飯を食べて眠っていた。
寝泊まりしながら取材をし、その足は、早池峰山、旧下閉伊郡の各地へ及んだ。
行く先々の神社と言う神社を巡り、磁石で方位を測った。
すべての神社が、北西を向いていた。
お参拝し、何が祀られているか調べた。
ほとんどは、坂上田村麻呂で、集落によってはオシラさまが見られた。
そんなこんな、渡り歩いているうちに『デンデラ野』と言われる言葉を持たない人々の集落にたどり着いたのだった。
『神に追われて』に話は戻るが、『神』とは人の祈りが、作り上げた祈りそのものであると思っていたが、どうやら『神』と呼ぶべきかどうかわからないが、何かの意識の集合体と言うものは存在し、それが人に降りていわゆる『神さま』と呼ばれる存在になる事は、ありえないことではないと思ったのは、この26歳の時の旅の結末であった。
と言うのは、多くの『神さま』達の残した遺跡や足跡をたどる旅になってしまったからであった。
奇妙な体験をたくさんした。
挙げたらキリがないほどである。
私事であるが、私は1歳数ヶ月の頃、心中未遂と言うものを経験している。
はじめの記憶が『死』を前にした感覚である。
2歳8ヶ月で保育園に入園した。
入園しに行った朝、母が保育士と話している間、私は明確に自死を意識して砂場の砂を食べまくり、水を飲ませられ吐かせられた。
保育園での私のあだ名は『虫愛る姫君』であった。
私は、昆虫や両生類と会話ができた。
野良犬に小便を飲ませ、野良犬から顔中白癬になるまでべろべろと舐めさせると言う儀式をして、野良犬の仲間になり幼少期よく遊んだ。
指にクマンバチを止まらせ、愛しげにニコニコと話しかけている私の姿を見て、保育園の先生方は私にこのあだ名をつけたそうである。
私は、田んぼがコンクリートに埋め尽くされ、沼も湧水も同じようにしてなくなっていき、野良犬が山の麓から去り、町がどんどんコンクリートやアスファルトで固められていき、両生類や虫たちがどんどん減って、山奥まで行かなければトノサマバッタに出会えなくなった頃、ちょうど中学時代であるが、あの頃、自分は一度死に絶えたような錯覚に陥った。
『神』は、自然と共にいる。
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