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占星術・『水』の欠如

※監修・占星術師ほともこちゃん

私は「水」のエレメントがホロスコープ上ひとつもない。

「水」のエレメントもつ要素は、「情緒的で、自分や他人の気持ちの交流を大切にする」という意味を担う。

私は子供の頃から、「こんなに心配しているのに、何で心配が分からないの?!」と、そればかり言われてきた。

しかし私には、「相手の心配するという気持ち」、その本当の重みが理解できなかった。

だからどうしても、いつもケロリとして、「てへへ!ごめんね!」と、返してしまうのであった。

もちろん経験を積み、大人になり、「人の心情」というものを経験則として学び、歳を経るごとに「その心配の重み」というものを、それがどれだけ切実で有り難いものか、理解するに至っている。

私を構成するものは、
・風…知的で非個人的な情報を扱うことに長けている。(5天体)
・火…精神的で誇り高い。興奮しやすい。(4天体)
・地…実際的で、感覚的な能力が発達している。(1天体)
・水…情緒的で、自分や他人の心の交流を大切にする。(0)
である。

欠落したエレメントは、その人の最大のコンプレックスであり、その人の生涯の課題となることもある。
そして、欠落しているエレメントは、自分の持つエレメントの中でもとりわけ過剰なほど、その性質を表してしまうという一説もある。

「水」のエレメントが強すぎると、「共感できないものは排除する。見知らぬものへの排除、得体の知れないものへの排除」という側面が強く出る。

私が後天的に「水」のエレメントを持ち得たとしても、私の「情緒、愛情、情動」の在り方は、「火」のエレメントによって未知なるものを受け入れ、「風」のエレメントによって幅広く受容する、という土台に支えられている。

私は自分の持つ12ハウス海王星射手座、10ハウス天秤座冥王星が、私の「水」のエレメント的な側面、「情緒、愛情、情動」といったものを深めているが、その範囲は幅広く、排他的ではない。

「地」のエレメントの弱さの方は、それが太陽にあたる部分なため、それ相応には機能しているので、あまり気にしたことがない。

「地」のエレメントの弱さ、具体的にどういうものかと言うと、例えば私は食べ物に関して、「腹に入れば何でもいい」「カロリーを補うことができればそれでいい」といった、自分の五感に対する興味の薄さとして現れる。(もちろん美味しいものは好きだが)

五感で感じる心地よいもの、例えば干した布団が心地いいとか、清潔な環境が心地いいとか、もっと言えば、自分の好きな物に囲まれていたいというインテリアへのこだわりの全くのなさ、そして物欲の薄さ、そういったものに現れる。

眠る場所さえあればいい、畳の上でもいい、雑然とした環境でも全く気にならない、最低限必要なものだけで生活ができる、物質へのこだわりがない、仕事に必要なものさえ購入できれば後は特に必要がない、五感に対する贅沢にほとんど興味を示さない。

何とも極端だが、私はこういう人間である。
「地」のエレメントの持つ、五感を大切にすると言うところからは、おおよそかけ離れた人生を送っている。

私の12ハウス海王星射手座による、「水」的要素「情緒、愛情、情動」は、そのハウスとサインに於いて「水」の範疇を越え、より精神的で理想的であろうとし、自分の外へと向かう。

そして10ハウス冥王星天秤座が、新たな関係性を模索し、常に相手との垣根を払い、博愛的であろうと作用する。

例えば私に関わってくださる人、その一人一人に、私の感情の質量は大きく働き、もっと広く言えば、「火」と「風」の強さからも博愛主義な部分もある。

私が、お父さんのみならず、友人知人仕事関係から始まって、顔見知りになる人、そういった人個人個人に対して、向けてしまう愛着や愛情や想いの深さといったら、身が持たないほど目まぐるしく広い。

ひとつのやり取りで得るに至った「その人の感情」に対し、「私の感情や愛情」というものは、そのたびに大きな感動を生み、感激する。

漫画を描くときですら、私は見たこともない知りもしない「読者足り得るかもしれない人」に対しても、膨大な感情を持ってしまうのだ。

私は「水」のエレメントが欠如しているが、このような仕組みで「情緒、愛情、情動」を成り立たせている。


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