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『息子』

19歳。妊娠した時のことである。

結婚など考えてもいなかった。
「好きな人の子供ができたから産んで育てよう!」
一人ででも、産むつもりだった。 

すぐに母に電話した。
「あら!私おばあちゃんになるの?!帰ってらっしゃい!産んでいいわよ!!」
母は にこやかに、きっぱりとそう言った。

嬉しかった。
私はその時、本当に実家に帰って子供を産んで育てようと思った。
だから 呑気に、プロポーズされなくても全く気にしなかったのである。

私がプロポーズされたのは、妊娠7ヶ月目に入ってからであった。

結局私は、病気と仕事と育児、その両立がうまくいかず、実家に息子を預けてしまったが、父も母も、とても大事に育ててくれた。

貧乏だった我が家では、コンビニのお菓子も買えなかった。
献立はいつも、スーパーの特売の品でばかり作っていた。
運動会のお弁当も、半分は冷凍食品である。
冷凍庫に入っているのは箱入りのぼっこ アイス。
お菓子は大きな袋に入った特売のもの。

息子と暮らしていた頃、貯金したお金でウルトラマンショーを見に水道橋まで行った。
「何でも買ってやるよ!この日のために貯金したんだ!レストランで何か食べよう!」
私はそう言って、大盤振る舞いをしようと思った。

ところが 息子 はこう言った。
「母さん。このおもちゃの値段、0の数が多い…」

「いいよ 買ってやるって!母さん 金持ってきたから!」

「…俺、ビックリマンチョコでいいよ…」

息子は私の働く 背中ばかり見てきた。
時々 過労で倒れるたびに、登って背中を踏んでくれていた。
本当に ぶっ倒れたことがあった。
あの時 息子は、
「母さん!死なないで!母さん!死なないで!」
そう 泣き叫びながら、一生懸命 私の背中を踏んだのだった。

息子は私の財布のお金が、私がどれだけ苦労して働いたお金か、ちっちゃい頃からよく知っていたのだ。

息子はどうしても、私のお金から贅沢が出来なかったのだ。

息子を実家に預けしばらくした頃、印税が入ったので従妹と一緒に3人で豊島園に行った。

乗り物を散々乗り倒した。
「腹が減ったろ?!金いっぱいあるからレストラン行くベー!!」
その時だった。
「俺 腹減ってないよ!!こういうところのレストランは高いんだ!!家に帰って 焼きそば食べようよ!!」
息子は頑として、豊島園のレストランで食べようとしなかった。

あの時も、息子は分かっていたのだ。
私は、一緒に遊んでいた従妹よりも、安い みすぼらしい服を着ていたからだ。
そんな息子がとっても不憫だった。

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