見出し画像

『透明なゆりかご・最終巻』沖田×華さん著

「透明なゆりかご」最終巻、ボロボロに泣きながら読み終えた。そこには沖田×華さん自身がいた。沖田さんのそのままと、懸命に必死で命と向き合う様が描かれていた。かなり覚悟をして読んだのだったが途中から涙が止まらなくなった。描き上げて下さってありがとうございます。

読了し、自分が生まれてきたことを許せた。私は両親の虐待にあってきた。時はそれを解決し、両親に長生きしてもらい少しでも老後の世話をさせてもらえたらありがたいと思っている。両親への思慕の念は強く同じくらい憎んだ。当時の両親の置かれた状況を理解し、致し方なかったと納得するに至った。

最終巻を読んで初めて自分の命と対面した。母との心中未遂、保育園に入園したその日泥団子を食べて死のうとしたこと、虐待、祖母からの母への過剰ないじめ、18歳の時、母をこんなにした祖母を殺そうと首にカッターの刃をあて、だけれども祖母が好きで、号泣してしまい未遂に終わったこと。

戦争を引きずってきたままの、時の止まったような幼少期。戦争とは何か。突きつけられてきた思春期。私だけが許されない存在であったこと。多動児、統合失調症、一人で病院に行って精神病の相談をしたこと。自殺未遂。長年の自傷行為。絶対的な孤独。戸籍から抜けることだけを望んだこと。

自分自身への命の評価の低さは、生育歴に由来するが、今それを愛しんでくれるお父さんの存在がなくなったら、私はまた自己評価が底辺まで落ちるのではないかと、自分自身の命に対してぞんざいになるのではないかと、かなり恐れていたのだった。

私がいよいよ病気が重くなって自殺を考えた時母はお前が死ぬなら私も必ず一緒に死ぬそう言ってきかなかった。廃人になって戻ってきた私を父は車で大宮のストリップ劇場まで連れて行き「また舞台に立て!生きることをやめるな!」泣きながら二人で舞台を見た。

統合失調症に翻弄される中、両親は私に対し命懸けだった。私は何度も「なぜ私を産んだのだ?!」と吐いたこともあった。人間として不完全で母親にもなりきれず、生きることは困難で、ただしがみつくように「表現」というものばかりしてきた。「表現」というもののみに生きる証を見つけようとしてきた。

幼い頃からの、「自分の生は絶対悪なのではないか?」という拭えぬ想いと孤独とだけが、ずっと私をさいなみ続けていた。だから露悪的に自虐的に生きてきた。自分に罰を与えるためである。そこから救ってくれたのはお父さんの存在であった。お父さんは私を全面的に肯定した。初めての経験であった。

自分の命に確証を持つには、自分の足で生きるしかなかった。自分で自分の人生を決め、ただまっしぐらに走るしかなかった。私にとってはそれが仕事であった。表現という仕事であった。書くことも描くことも演じることも、どれひとつ私には欠かせなかった。世間に自分をぶつけていくしかなかった。

私が生きてきて、一番いいことをしたと思ったことは、息子を好きでいてくれるお嫁さんに、息子を手渡せたことである。この時初めて私は、自分の業から逃れられた。私の大切な命を愛してくれる人に渡せた、世界で一番良いことをしたと思った。役目を終えた、そう思えた。

「統合失調症」という呪いを背負ってできるだけ人の手を煩わせず、出来るなら漫画を描きながら死にたいものだ。最終巻を読み自分の命と対面し、この激しい嗚咽は私が今まで生きてきた生を、この本によって静かに肯定されたのだとそんな思いがした。

いいなと思ったら応援しよう!

卯月妙子
よろしければ、サポートお願いいたします!!頂いたサポートは夫やわたしの医療費や生活費に使わせて頂きます。