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3・11。12年目。13回忌。今頃やっと言葉に出来た。

やっと、 3.11 の 12年目、 つまりは 十三回忌 からの、 心の立て直しができた。

今でもやはり変わらない。

この日は涙の日である。

一番最初に テレビに映ったのは、 おばちゃんの 近所の、 シートピアなあどが、 波に飲まれる 映像。

続いて、 岩手県宮古市役所が、 波に飲まれる映像。

国道106号線に、 閉伊川から 海が逆流して、 家も人も車も いっぺんに流され、 国道106号線が 崩れ落ちる映像。

揺れがきて すぐ、 父に電話をかけた。

「 水が…!!」

電波が切れた。

叔父が亡くなった。

私は岩手県宮古市の 生まれたが、 鍬ヶ崎町、 田老町、 町ごと全部流された。

河原グラウンド で サッカーや野球をしていた 子供達も、 あそこでいつも顔見知りだった、 声を掛け合っていた 人々も、 流された。

名前は知らないけれど、 挨拶していた人々。
仲良くなって立ち話ばかりしていた人々。
子供の頃からお世話になっていた人々。

みんな流された。

鍬ヶ崎町は 私のホームグラウンドだった。
今もう 更地である。

おじいちゃんと 毎日 遊んでいた 田老町。
おじいちゃん子だった私は、 一瞬にして 思い出を失くした。

地元に帰る機会は何度もあった。

友達にも何度も誘われた。

両親にも会いたかった。

だけれども、 通り一本向かいの 町が全部流されたり、 顔なじみの 人たちが、 いっぺんに亡くなった。

変わり果てた 地元を見る勇気がなかった。

グーグルマップで ちょっと 勇気を出してみたけれど、 過呼吸が起きて、 パニック起こしてしまった。

そんなわけで、 東日本大震災以来、 統合失調症の症状が ぶり返すのが怖くて、 12年間、 地元 に帰っていない。

やっぱり今年も泣いた。
ボロボロだった。

知り合いに、 友人に、 十三回忌のお悔やみを言った。

一生このままかもしれない私は。

もちろん両親が、 介護が必要になったら、 お世話をするために どうしても帰りたいとは思っている。

3.11は、「 みんな死んだ日」 だ。

あまりに失いすぎて、 毎年 この日は、 大体この日から三日間は、 泣きすぎて ダメ である。

3月11日。YouTube にぶちまけた。

『 3.11。 みんな死んだ日。※ 閲覧注意』
https://youtube.com/watch?v=Av6i82XHY5Q&feature=shares

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