「かわいそう」って思われたくない

私はなぜガンになったのか?

シリーズで書いています。

もうすぐ小林麻央ちゃんの命日です。
美しく、強く、素敵な女性
彼女がBBCに寄稿した文章です。一部抜粋しています。

家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、 幼稚園の送り迎えができなくても、 私を妻として、母として、以前と同じく、 認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。
・・・・・・(中略)

人の死は、病気であるかにかかわらず、 いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。
『まだ34歳の若さで、可哀想に』
『小さな子供を残して、可哀想に』
でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、
家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです

だから、与えられた時間を、
病気の色だけに支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから

麻央ちゃんが乳がんだと公表した時
私は自分の乳がんには気づいていませんでした。

それどころか、「がん」は完全ノーマーク。
私は絶対ならないと信じ切っていたのです。

だから、この文章をその時、私は辛すぎて読めませんでした。
麻央ちゃんのブログも一切見れなかった。
あまりにも「かわいそう」って思ったから・・・

だけど同じ病気になって
彼女の言葉

「かわいそうって思われたくない」

それが、心から理解できます。

乳がんになって、全て失ったように思われるかもしれないけど
同情される事ほど、イヤなものはなかった。

私は乳がんになっても女性として
何も失いなっていないと心から誇れたから。

そして、乳がんになったことで
たくさんのギフトをもらったから。

病気にならなければ気付かなかったことが山のようにあります。

頭でわかっているのと
心から感じて腑に落ちるのとでは大違い

この経験は私の人生をいい意味で大きく変えました。

私がなぜガンになったのか?

その答えがわかったとき
全身が震えるような感覚を覚えました。
それを今後シリーズで書いていきますね。

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