承認欲求の罠

Instagram、Facebookのいいね!に代表される『承認欲求』。誰にでもある心理だと思いますが、私はこれが強すぎると生きにくいと思います。

SNSがなくても、承認欲求が強い人ってもともと目立って華のある人が多いと思います。だから、わざわざ話題のスイーツ持ってデカ目加工してまでアピールしなくても充分スター性のある人達。自己表現も上手だし、センスもいい、なのに何故そんなに頑張ってみんなの称賛を得たいのか?今回はそんな承認欲求について考えたいと思います。

常にみんなの称賛を得るには常に新しく、斬新なアイデアを打ち出し続ける必要があります。そしてみんなのニーズ、期待に応え続ける必要がある。それを自ら担うというのが承認欲求の強い人の性質。みんなはそんな人から勇気、元気をもらい『この人みたいになりたいなぁ!』なんて思うのです。
この人の意見、面白いなぁ!くらいに思ってもらいたければ、いいね!が1つでもつけば励みになり、また、意見をまとめて発表することに意義があると思っている人はそれすら特に必要なく、承認欲求を満たすためにやっている場合はいいね!やフォロワーの『数』にこだわる傾向があると思うのです。数字というものは非常にわかりやすいのです。

例えば、フォロワー1000人が999人になれば4桁が3桁になり目立つ。これがすごく不快になります。いなくなった一人が誰だかはどうでもよく、3桁になったことでプライドに触るのです。最初はきっと自己表現の場だったと思います。それが段々とジャッジされる場になり、数字に振り回されるようになる。減ったなら話題を変えよう…もっとみんなが見てくれる話題にしよう…と弱気になってくるんです。

いつの間にか、自分の魅力で増やしたフォロワーの顔色(数色)を見るようになる。

そのうち、初期の魅力に虜になっていた群が『最近ブレブレorマンネリでつまらないなぁ…』となり離れてゆく…。数を見て内容を操作すると、最初の強烈な魅力からどんどん離れて、万人受けする平凡な主張をするようになります。そうすると数が減ったり増えたり落ち着かなくなる。これがますます不安になる。悪循環ですよね。

SNSに限らず、承認欲求が強いということは非常に精神が疲れることなのです。

そのままでも充分なのに何故こうなっちゃうんだろう?といつも思います。自分の話を熱心に聴いてくれる人が一人でもいれば充分ではないかと。

承認欲求の罠は他にもあります。

同じ意見、自分を褒め称え続けてくれる人に常に持ち上げられていることで、反対意見、別の角度からの考えが受け入れにくくなります。『違うかもしれないよ?』と言われるだけでプライドが傷ついてしまう。そりゃ1000人も自分を支持してくれる人がいたら居心地いいからそこにずっといたくなるでしょう。でも、もともと人間関係って互いのぶつかり合いから着地点を探っていくものだと思うんです。その繰り返しで視野が広くなっていく。

私は自分が誰かのSNSを見ていいね!をすることは、単なる意思表示だと考えています。フムフム…と思ったけど、このボタンがなければ書いた人に見たことが伝わらないから押す、それだけの話。そんなに深い意味はないんです。
時々それに速攻お応えしてくれるのか、のちに私のどうでもいい呟きにまとめてポチポチしてくれる方がいますが、そんなことせずとも私は大丈夫、立っていられます。

アドラーの心理学で言うところの『自分の機嫌は自分でとる』大切さを感じます。

人の反応に一喜一憂すると自滅します。本来の良さがどこかに消えてしまう。そして、そこを狙っている人もいるんです。あ、この人ココ気にしてるな?というところで真っ向から反対の意見を言い、そっちの方が良さそうだ!と民族の大移動。
そうなったら自分の心は傷だらけです。栄枯盛衰ではないですけど、みんなからもてはやされて称賛得ていた人が一気に転落することってこういう罠にハマったパターンが多い思うのです。

自分の承認欲求を満たす=人様にご機嫌を取ってもらっている、ということ。ご機嫌などは自分でとり、そのパワー、カリスマ性でぜひ周りをハッピーにしてもらいたいですね☺︎

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