食材で贖罪
母一人で暮らす実家に向かう時、どうしてもたくさんの食材を買い込んでしまう。この間これ持って行った時、おいしい美味しいって結構食べたからもう一回これも買って、このお店のお弁当好きだから買って、果物も実家の近くのスーパーよりいいものがあるからこっちで買って‥と大荷物になる。
実家近くには母が暮らすには十分な品揃えのスーパーがあり、母は普通の量の買い物には行けるので、別に私がたくさん買い込んで持っていくことは必須ではないのです。
以前の母は何かを「もらう」ことに強い抵抗を示していて、それは例えば母の日に贈った名前を彫った口紅を「こんなの使わない」と包装をといてすぐこちらに返してきたりして、ムスメとしては何やら恐ろしいものを感じていました。
今思えば、母が口紅を突き返した頃は、おそらく父の様子がだんだん変わってきた頃と重なります。変わっていく父を私に見せまいとしていた母、口紅なんてつけてる余裕ないわよ、だったのでしょう。だからこそ娘を含めて誰かと関わることを避けていて、家に来ないでくれの繰り返し。それに気づかなかった私は「なんなのよ!!じゃあもう知らないよ!!」と実家から足が遠のいていました。これは本当に今悔やんでも悔やみきれない。
そんな母が、この間持ってきてもらったしゅうまいね、あれおいしかったわ、また食べたいなどと言われると、こちらはほっとしてちょっと泣けてくるわけです。そしてちょっとずつ、ちょっとずつ持っていく食材が増えていく。
父のところにも、「おとーさんわかんないかも」と思っても、スタバでインスタントコーヒーを買って持って行きます。年末行った時に施設の人に聞いたら、「ああーこれだとよく飲んでくれるんです、他のコーヒーだとあんまり飲まないんです」と。父、コーヒーの味わかってるのかも。実は味覚も意外と記憶と直結しているのかな。
母にも、父にも、食材で贖罪しているなと思った年の初めです。
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