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年上の彼が寝かせてくれない夜、または認知症高齢者の入院を伴う外科手術について

父の入院に付き添って1泊2日の親子同室で過ごす。ペースメーカーに関する予定された手術ということで、こちらも心構えを持って入院ということに。仕事も調整して、バッチリ休みも取って立ち向かったわけですが‥。 どうしても父は「いま病院にいる」「自分が手術をした」ということがわからないので、点滴や必要な検査機器のコードを「これはなんだ、外してくれ」といい続ける。その度に「これはお父さんの大事なヒモだから今日はつけておいて」と説明してその時はああそう、なんていうけれど2分経たないうちに

    • 忘れていいこと、忘れたくないこと

      父の検査受診同行で、入所先の施設の方と一緒に病院で数時間を過ごす。私のことは、話している間にも思い出したり思い出さなかったりを繰り返しつつ、施設の方と私が珍しくゆっくり話を聞いてくれるものだから嬉しそう。 施設での面会の時は15分という時間制限もあるのでやはりせわしない。病院では幸か不幸かとにかく待たされるので、のんびり話すことができました。当日は久しぶりに東京に大雪が降った日で、防寒対策で着込んだ私のコートを「いいの着てるな」と褒めたり、膝掛け(なぜかピンクに茶系のハワイ

      • 家族の歴史を紡ぐ(いい話風に)

        もう何年も前の話を、おひとつ。 オットの父の長姉が90代半ばで亡くなり、葬儀に参列しようと久しぶりに引っ張り出した喪服のワンピースを着たらきつい。喪服が縮んでいる、いや中身が大きくなったのか・・・と息を止めて身を細めつつ会場へ。こじんまりしたセレモニーホールで、受付は会場内の参列者の席の後方に配置されている。今日のお葬式は当家のみの様子。オットは自分の両親におともして前方の席に、私はほかの親族と空いていた後ろの席でお通夜の読経を聞いていました。 すると、受付でご婦人と葬儀

        • 食材で贖罪

          母一人で暮らす実家に向かう時、どうしてもたくさんの食材を買い込んでしまう。この間これ持って行った時、おいしい美味しいって結構食べたからもう一回これも買って、このお店のお弁当好きだから買って、果物も実家の近くのスーパーよりいいものがあるからこっちで買って‥と大荷物になる。 実家近くには母が暮らすには十分な品揃えのスーパーがあり、母は普通の量の買い物には行けるので、別に私がたくさん買い込んで持っていくことは必須ではないのです。 以前の母は何かを「もらう」ことに強い抵抗を示して

        年上の彼が寝かせてくれない夜、または認知症高齢者の入院を伴う外科手術について

          「特別で親密」

          「私、異性に高級な下着を贈ったの」と言われて想像する言葉とは‥ ‥特別、とか親密、とか? 実は最近私、特別で親密な経験をしました。 ええそうです、父に6000円の「クッションパンツ」という下着を4枚購入。計2万4千円。 この下着、大腿骨の部分にポケットがついていて、クッション(と言ってもそれなりに固さがあり、強いて言えばプールで使うビート板みたいな素材)を入れられるようになっていて、バランスを崩して転んでも、物理的に衝撃を予防しようというもの。父の施設のケアマネさんが

          「特別で親密」

          一喜一憂

          さて年末年始の一人娘モード。 秋口に大腿骨骨折疑い騒ぎがあった父。その頃は目に光がなくなって、すっかりどこぞのおじいちゃんのようになってしまい、こうやって人間老いていくんだなとぐっと覚悟を決めたりしていたのですが、今日ホームに母と一緒に会いに行ったら‥なんかとっても元気。肌もピカピカしてるし、なんならふっくら生き生きしている。 前回は全くわからなかった私のことも、「おお、たえすけ元気だったか、久しぶりだな」とか言っちゃって、前回とは反応も違う。この1年では一番記憶がはっき

          一喜一憂

          ただ、それだけ。

           ここのところ急に朝晩寒くなってきた東京。12月になるとちゃんと寒くなるんだなと、いつもは「寒いのやだな」などと思うのに今年は「よかった、寒くなった、さすが12月だ!」と感動すら覚える事態に。11月初めまで半袖OKだった今年の暑さ、尋常じゃなかったです。  実は最近、夜寝つきが悪かったり、変な夢を見たり、起きても寝られた気がしなかったりとなんとなく睡眠が不安定に。同じ時期に、仕事でゴタゴタしたり、実家父の施設より連日「転倒しましたが痛がっていないので大丈夫かと」連絡があった

          ただ、それだけ。

          父の「帰納法」

          父は80歳を過ぎてすっかり認知症の症状が進み、2年ほど前からは私が娘だということが理解できなくなりつつあります。正確にいうと、父の頭の中では娘はまだ中学生なので、おばちゃんがやってきて「おとーさん」などというと「・・・こんなおばさんにお父さんと言われる筋合いはないだろう、うちの娘はどこだ?!」となるらしい。ええ、お宅のお嬢さん47歳になりましたけどね。 コロナ禍に施設入所となったため、面会できない期間も続き、会えても15分だけという時間の指定があったりして、父が娘を思い出す

          父の「帰納法」