また一度の涙雨とLet it be
母がホームに移ってからの日々は殆どが穏やかに過ぎた。父の糖尿病は悪い方向へのブレイクスルーが頻繁に起こるしとても派手で私も母も色々振り回されていた。例えば私が会社にいると胸水が溜まっちゃってもう透析しないと駄目だから付き添い頼むと電話がかかってくるとか、私の結婚お披露目の宴席の直前に入院してしまうとか、正月に里帰りするとその日に倒れて病院に担ぎ込まれるとか。
母のは別に病状が安定しているというわけではなくて地盤沈下や花瓶の中の水が蒸発してゆくのははっきりと目に見えないけれど時間を置いてみればその変化が明らかなように、じわりじわりと全身の状態は変わっていった。乳児期の子供が「いつの間にか」できることが増えているように母の場合はいつの間にかできないことが増えてゆく。病気を告知された時とホームに入居した時の母の全身の写真をもしも撮って比べてたりしたら普通に年を取る以上に病気という要素が印象を変えてしまったから多分同一人物だとわかる人は少なかっただろう。
しかしある年かかってきた電話は母の病気に関することでは久々にがつんと来る内容だった。
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