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sweet revenge(母の)

 毒親というものについての言葉が本やネットで現在進行形や過去形で娘(だった)という立場の人から発せられてるみたいだけどそれに倣うと私の母は私が小さい頃は自分の叶えられなかった夢を娘に託すタイプ、私が長じて何のとりえもない平々凡々な娘だと判明すると娘を自分の悪感情のゴミ捨て場にするタイプになった。
 どうやら母は私を堅い高給取りの職につけてつまんない夫は捨てて母と娘と二人同居、あとは孫の面倒でも見ながら楽隠居という青写真を描いていたふしがある。(そんなのは実現しなかったんだけど。でもそういう青写真を描きながらも兄を贔屓するというダブスタもあったり)
 で悪感情というのはどういうのかというと
 「お母さんはかわいそうなんだからかわいそうなんだからかわいそうなんだからあんなお父さんと結婚したせいで楽しいことなんて何もないし美味しいものも食べたことないしかわいそうなんだからかわいそうなんだからいいかお前は結婚なんかすんなムキー」
 というのだ。
 子供の私は素直にそうかあお母さんはかわいそうなんだなあと思ってたけど同じことを繰り返し言われると飽きる。ぶっちゃけゴミ捨て場もゴミ捨て場なりの自我に目覚めるときは絶対来るのでそこら辺を全然考えてなかった母うかつなり。
 飽きた私はある時母に素直に聞いてみた。
 「じゃあお母さんの言う楽しいこととか美味しいものってなーに?」
 恐ろしい程の沈黙が落ちた。要は母にもそれらについてよく知らなかったんじゃないかと思うけど楽しいことはともかく母の言う美味しいものって何だったんだろうとかいう話。
 前にも書いたけど母は六人だか七人兄弟の二番手という立場の人だった。とある海なし県の田舎の農家が母の実家だ。
 昔の、しかも戦中産まれの人だったので母の子供時代の栄養状態がよくなかったことは想像に難くない。そして伯母つまり母の姉がその頃は病弱だったので下の兄弟の世話や家事的なことは母の一手に任されていたようだ。
 そういう育ちの人がいざ自分の家庭を持つとどうなったかというと、料理をなんでもかんでも大量に作る。私の記憶の中にある家のガスレンジには四人家族には似つかわしくない大鍋がいつも乗っていた。勿論煮込み料理なんかは少ない量を作るよりたくさん作った方が美味しいけどそれにしても多すぎじゃないの?という量。
 「お母さんはお母さんの兄弟にご飯を作らなくてもよくなって何年も経ってるのにこんな量作るのっておかしくない?」
 と私が指摘しても母は笑うだけだ。それでまた以前と変わらない量を作る。
 市販のあんは不味いからと小豆を煮ることから始めるあんこ入りのまんじゅうを作れば握りこぶし半分位の大きさのまんじゅうが四人がけのテーブルの上一杯になる。うどんを打てば40cm四方の深いザルにどかんと大盛りのうどん。それをあちこちにおすそ分けしたりしても残るのはかなりの量でほれ食えやれ食えの恐るべきわんこうどん大会の開幕だ。
 お碗に二三杯のうどんを食べればお腹一杯になるんだけど箸を止めると
 「うどんは腹に溜まらないからもっと食え」
 と言われる。せめて薬味とかてんかすとかアクセントがあればなんとかいけたかもしれないけど大体の場合うどんのお供はこれまた自作の醤油黒いしょっぱいうどんつゆだけだった。それを延々ずるずるずるずるずるずる啜る。
 こういううどん修行のお陰で私はうどんに関しては口が肥えたかもしれないけどそれがなんぼのもんじゃいって感じでスーパーで冷凍の讃岐うどんを買う。だって美味しいし。
 さてこういう炭水化物とかを大量に摂る食生活というのは昔風のものだ。昔の農家で生活してた人にはそれがご馳走だった。毎日の厳しい肉体労働に必要な栄養をタンパク質で賄うことができないから糖質を大量に摂り、摂った分はまた明日からの労働でチャラにしましょうという昔ながらの生活の知恵なんだけどそういう栄養学は勿論現代的な生活様式には適用されない。
 そして言うまでもなく糖尿病の人が控えなければいけないのは糖質の摂りすぎだ。
 母と結婚した30代の頃から糖尿を発症してた父は医者の言うことに耳も貸さなかったという話だし父はかなりの大酒飲みだったけど母の供するこういう食事も父の病気の悪化に手を貸していたような気がしてならない。


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