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山あいのホームにて

 ホームの入居に際して、母の持病の神経難病とそれに気管切開に伴う耳鼻咽喉科の診断書が必要だと言われたので私は母と一緒に病院に行った。母の言葉がもう大分不自由で神経内科の医師との会話もかなり通じてないので横にいた私は口を挟んだ。
 父が亡くなりましたので母の一人暮らしは無理ですので老人ホームに入居しますついてはホームと提携してる病院に通うかもしれませんがそこには神経内科がありません。この病院に通い続けることもできますけどどちらがよろしいでしょうか。それと診断書もいただければ。
 医師は言った。
 「もう神経内科でできる処置はありません。あとは内科的な対応だけになりますので他所の病院に行っていただいても構いません」
 …その言葉を聞いた時私は正直冷たい、と思った。
 でも診察室で暴れたりするわけにもいかない。これがこの先生の日常だ。神経難病は殆どが有効的な治療法は確立されていない。病名を告げて薬を出して病気が進行してきたら後はもうなにもできることはありませんと言うのがこの先生の日常だ。多分この先生はずっとそうやって患者を送り出してきて私の母もそのうちの一人に過ぎない。それなら何も言わずにおとなしく引き下がったほうが消耗せずに済む。
 後日私は病院まで診断書を貰いに行った。
 診断書には病名はBとあった。
 最初に病院に呼び出されたとき、医師は母の病気は神経難病のAかBじゃないかと言った。後々セカンドオピニオンを聞きに行った医師にはCでしょうと言われた。
 Aは神経難病の中でも比較的進行が早いと言われている病気だ。BとCはその当時別の病気という扱いだったけどその後もう一つの病気Dと同じ性格の病気ということでBCDを統合した病名がつくことになった。ただその時点では統合されていなかったのでBと書いてあった。
 私は最初に検索した時に真っ先に確認したことをもう一度検索して、AもBもそしてCも孤発性(遺伝する病気ではない)だとあるのを見て胸を撫で下ろした。家族的に遺伝する例もあるけどそれはかなり稀なケースだと。そして実際母の親類で同じような病気に罹った人はいないとも聞いた。私の将来の不安もあるしまた子供を産んだ以上子供に対しても責任がある。そんなのは子供をこさえる前に確認しておけ慎重になれと言われそうだけど診断名が確定してないのに確信と安心は抱けないし待つ間にも年は取る。
 それじゃもしも遺伝性の病気だったら産まなかった?と聞かれたら答えはイエスだ。よくテレビなんかで難病の人とその家族が明るくポジティブに毎日を送るドキュメントが放送されているけどそれは上澄みに過ぎないと私は思っている。
 それと前後して長いこと音信不通の兄の住民票を削除してもらうように私は市役所に連絡した。
 実家を処分するのに際して相続の手続きや何やが必要だったけど家族の中に一人そういう人間がいると相続は格段に面倒くさくなる。とある司法書士の先生に手続き代行をお願いしてついでに兄の戸籍の削除もできないのかと尋ねたらその手続きは一定の年月の経過や段取りが必要らしく戸籍を削るのは現時点では無理だと言われたので、せめて住民票だけでもと兄の住民票は職権消除という取り扱いにしてもらった。元実家には縁もゆかりもない人が住むのだし兄宛の行政的なお知らせなんかが届いたら迷惑だろう。
 母は兄がいなくなった後も兄の国民年金や何やを支払い続けていたらしいけど今一番しんどい立場になった母がそれ以上兄に何かをし続けるのは無理だしそして妹の私には兄には多少の情はあっても義理はない。
 色々な手続きが山と押し寄せる中で必要なのは感情ではなくて実際的な判断だった。

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