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一つの終わり

 読経の最中、娘が泣く度夫は娘を外へ連れ出した。
 私はずっと車椅子にかけた母の脇にいて、母が足がしんどいとか辛いとか言う度に車椅子の足置きを上げたり下げたりしていた。(車椅子は葬儀場に貸してもらったもので母の体格に合わせたものではなかったので、足置きにずっと足を載せていると足が辛くなるのだ)
 お坊さんの説話が始まる。
 「南無阿弥陀仏の南無というのはサンスクリット語で私は帰依いたしますという意味でございまして…」
 お坊さんは一年中信徒相手にお話をしている人なので話上手というイメージを私は勝手に抱いていたけれど私と夫とそんなに年も離れていないのだろうこのお坊さんはあんまり上手くはなかった。拙いといっては失礼なんだろうけどそんなお話に内心で突っ込みを入れてみたり、そしてお坊さんが鐘を鳴らしたりする度に娘は泣いて退場するし母に足置きを調整してと頻繁に言われるしで私にとっては悲しみが胸に迫るというよりはとても気忙しいお葬式となった。
 火葬場に向かう日は雨で、葬儀会館の担当者は
 「涙雨ですよ」
 と言った。

 父を病院に搬送してもらった後、私は父の担当医から呼び出された。
 この期に及んでという言い方もとても変だけど担当医の話はとてもとても遠回りだった。父の今の状態をなんとなーくそれとなーく伝えて、だからご家族の方も察して頂戴ね、という感じ。危ないですとか心の準備をとかそういうシビアな言葉ではなくて直接的な言い方は避けるけどとにかく状態は良くないんだということだけはわかった。
 担当医との話の終わり際、私は聞いてみた。
 父は足がだるいんだよ痛いんだよとひたすらむくんだ足のふくらはぎを撫でさすっていた。私が想定している最悪が医師が伝えんとしている最悪とは違うのはその何時間後かにわかることになる。
 「父の足の切断の可能性はありますか」
 足が痛いと繰り返すのはいつかどこかで聞き齧った糖尿病の一病態、体の末梢部分の血流の悪化から壊死という話に繋がるんじゃないか。
 しかし医師はこう言った。
 「いえもう切断に耐えるだけの体力がお父様にはありませんので」
 私はその足で父のいる病室に向かった。父はベッドに身体を起こして座ったまま足をさすっていて、ふと脇の父の血圧を示す計器のデジタル表示を見ると血圧の上が60ない。人間はこんな低い血圧で生きていられるものなんだろうか。
 「また来るからね」
 と私は言い残した。
 私は帰宅すると母に医師が言ったことをそのまま告げた。
 母がどう思ったのかはわからない。何せ私がものごごろついてから小さないざこざが絶えたことはなかったし母の私に対する「結婚するな」という言葉は要するに父への批判だった。婉曲な表現だけじゃなくていかに父がだらしがなくロクデナシかということを私は延々延々聞かされ続けてきたので私は冗談でなく父が死んだら母は一気に元気になっちゃうんじゃないのかとうっかり期待したりもしてたのだった。
 ともあれ私はその晩は電話の置いてあるリビングに布団を引っぱってきた。
 電話が鳴ったのは深夜だった。
 母と娘と二人を一緒に連れてゆくのは無理だと判断して父方の叔父に連絡して母を病院に連れて行ってもらい私は娘を乗せて車を出し、病院に到着すると医師は既に父に心臓マッサージを施していた。
 マッサージして心臓を動かしている状態なんですもうこれ以上は無理です、と、看護師さんは言った。
 「わかりましたもう結構です」
 言うと、医師の手はあっさり父の胸の上から離れた。心電図の波形はすぐさま真っ平になった。
 父の葬儀は終わったけれとその翌日からはまた私は色々な雑事に追われて娘と一緒にあちこち車を飛ばすことになる。人が亡くなったからといってずっと悲しみにくれていられるのはある意味では贅沢で、日常的なことは誰かがこなさないと家が回ってゆかない。病気で母が動けないのだし介護保険でヘルパーさんが来てくれているとはいえ身内の私がいる以上はそういう仕事は私が担当だ。それにぼんやりしてじとじと涙を流してるより動いてるほうが気が紛れていい。
 それに母と家の担当のケアマネージャーさんのはからいで母は何日かに一度日中はデイサービスセーターに行くことになったので私と娘と二人きりになることもでき、諸手続きに集中することができた。
 父の年金の手続き。介護保険の手続き。どこから聞いたのか家に来てはお悔やみを述べたりあるいは電話をかけてきてちゃっかりセールスを仕掛けてくるよくわからない人の応対。
 しかし一番の問題は母のことだった。
 母が一人暮らしはもう無理なのはその時点で誰の目にも明らかだった。
 ケアマネージャーさんに夫と私の家に母を連れてゆくことはできますかと打診されたけどそれには首を振った。
 私の実家は新しかったから造りも今時風でバリアフリー仕様だし介護保険のお陰で壁に手すりもついていたけど夫と私の家は中古で家中のあちこちに変な出っ張りがあったし段差も多い。健康な人間にはなんでもないものでも母みたいな状態の人間にはナイフの輝きを持った凶器にもなりかねない。また、立地が(実家よりは)都会なので各部屋も介護用のベッドを置いたり車椅子を置いたりするにはあまりにも狭い。今の母の状態からして何かあったらすぐに病院に駆け込める体勢が望ましいけどあっちとこっちに離れた土地で全然連携もない病院で紹介状を持参したところで試行錯誤なく受診できるとも思いづらい。
 リーズナブルな方法は看護師さんを雇うことですがとケアマネさんは言った。介護保険を利用すれば母の要介護度の支給額で十分人を雇えますと。私はそれにも首を振った。
 詳しくは書かないけど父の入院に際して不安になったらしい母とご近所の人とで一悶着があった。これから病気が悪くなることはあっても良くなることがないだろう母につけこむ人間が出ないとも限らない。初っ端から人の善意を疑うのも寂しい話だけど丁度その頃独居のお年寄りに雇われていた看護師がお年寄りの財産を横領していたなんてニュースもあった。病気の人間と健康な人間と監視の目のないところで一対一というのは問題が多いような気がした。
 あるいはいわゆる老人病院といわれるところに入院日数の上限ぎりぎりまで入院し、また次の病院に転院するのを繰り返す方法もありますと言われた。ただそれは本当に身体を置いておくだけの入院で介護士等は居ませんとも。そして病院から病院へスムーズに移れない場合は待機の時間を自宅で過ごすことになると。それは母にも私たちにも負担が大きすぎる。
 それではとケアマネさんが提案したのは老人ホームへの入居だった。
 いわゆる特別養護老人ホームというのは軽費で済むけど入居に何年も待たなければいけない。入居しているのも80歳とか90歳とか本当のお年寄りばかりで所内のレクリエーションもお遊戯的なものが多くまだ60代で認知症もない母にはきついだろう。ならば費用はかかるけど個室と(特養よりは)厚いケアを売りにしている有料の老人ホームがありますよと。
 商売上手というかそのケアマネさんの所属している会社は有料の老人ホームも運営していた。そのホームも実家からはちょっと離れているけれど遠いと思うような場所ではない。
 私はそのホームに電話すると娘を連れて見学に行った。元々観光用のホテルだった建物を改装したとかいう話で新しくはないけど小奇麗で、応対に出たホームの責任者の人は(商売だからだろうけど)親身に話を聞いてくれた。神経難病の患者さんの受け入れ実績もあるという。
 私は家に帰ると母にホームの様子を伝え、次に母と母の兄弟とでホームの見学をする話になり、入居までの話はとんとんと進んだ。
 さてここで今まで書いてこなかった問題がありますそれは何でしょう。
 地獄の沙汰も金次第という言葉は本当にその通りで、入居の費用をどうするかという話は避けて通れなかった。
 件の有料ホームは料金設定は二通りあった。利用料を一年単位で納めるものと終身利用料という形で一括払いするものと。勿論後者の方が高額になるけどとても嫌な話だけど入居する予定の人間の余命とお金を天秤にかけるものだ。
 そしてどっちにしろ実家に現金のゆとりはなく、換金できるものは一つしかなかった。
 「建てられて×年しか経ってないのにお売りになるので?」
 と不動産屋の担当者は言った。
 私は事情を説明した。かくかくしかじか。すると担当者は訳知り顔で頷いた。
 「最近そういうおうちが結構多いんです」
 つまり将来的に子供と同居するつもりで家を新しくしたけどそのあてがはずれて処分せざるを得ないとかそんな話。
 まだ家は新しかったし使っていた場所も限られていて綺麗だったので買い手はそれほどの間をおかず見つかった。
 そして私の実家はいくらかのお金と引き換えに消滅した。



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